Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

自他を等しく愛するためのノーツ

 自分を愛するように他者を愛すること、或いは、他者を愛するように自分を愛すること。自分を慈しむように相手も慈しむこと、或いは、相手を尊重するように自分を尊重すること。自分に対する配慮と他者に対する配慮を、出来るだけ等しい程度に近付けるよう努めること。相手の眠りを妨げないように、自分の眠りも妨げないこと。相手が欲しがるものを与えるように、自分が欲しがるものを与えること。相手の魂が和み軽やかになるのを願うように、己の魂が和み軽やかになるのを願うこと。他人の顔や容姿を愛でるように、自分の顔や容姿を認めること。相手の言動を一瞥し、その是非や善悪や美醜を軽々しく判断したり裁判しないために、ジッと我慢するように、己の言動の表出を捉えて、その是非や善悪や美醜を即断即決し、自己卑下や自己非難に陥りそうになるのをジッと堪え、そうしないように配慮すること。

 

 私が誰かのことを嫌いであると感じるとき、私は最も醜悪な顔をしていると知ること。

 

 鏡越しに己の裸の姿を見て恥ずかしがるのは、やはり、私は他人の裸を見るのが恥ずかしいと思うからだ。裸というタブー。露出している、覆われていない体。

 

 

集中するための準備

風呂に入る

髭を剃る

肌を整える(早く皮膚科に行く)

好きな服を着る

髪を整える

歯磨きをする

目薬をうつ

英語の歌を歌う、または英語の本を朗読する(一時間〜二時間)

コンタクトレンズを買う(眼鏡の悲しみから解放されたい)

 

前日までに当日のスケジュールを確かめる

荷物の用意をしておく

靴を磨いておく

飲み物や軽食を買っておく

消耗品を買い溜めておく 

 

修士論文の修正と提出その他

アルバイトの退職願を出す

新しい仕事を探す

 

自分だけのマントラを唱える

自己愛を求める

幸福感、安全感、絶対的肯定、円満、穏和、静謐、温かさ。なんでもいい、自分を承認してくれる言葉を心の中で唱える

 

Who takes care of the caretaker?

 ケアについて。私の関心は、ケアを施す人々が如何にして働いているのかである。列挙すれば、保育、養護、教育、特別支援、心理、医学・医療、保健、看護、リハビリテーション、介護、冠婚葬祭、社会福祉、公共サービス等の範疇に収まるだろうか。恐らく、一部の文学者や音楽家、芸術家もここに含まれるだろう。

 私は、自分の事について余りにも狭く、細く、瀬戸際に追い詰めて考えてしまう。私は、高校の英語教員しか道が無いのだと思い込んでいた。その思考が私を傷つけるのだ。私は一体何を学んだのか。こんな沢山の本と音楽と映像に囲まれて、というのはつまり、こんなに沢山の智慧と経験と言葉と祈りとに囲まれて、だから、それはやはり人間の魂に囲まれているということなのだが、私は彼らの言葉に耳を傾けて、そして今分かったことは、私は必ずこれをせねばならないということはない。どの本を開いても、私は必ずこれこれをせねばならないとは書いてなかった。全ての本は、問い掛けに満ちて居て、そこに答えは明示されていなかった。論理的に解釈する者があった、物語ることで共感を誘う者があった、日常に潜む悪に眼を凝らす者があった、己の体験を具に観察・考察する者があった。

 

 私がなぜこのようになってしまったのかについて、私はなぜこのように立ち止まっているのかについて、私がなぜいつまでたってもこのように、独りで、パソコンに向かっているのか。

 

 ケアについて。セルフ・ケアについて。または、他者のケアについて。コミュニティへのケアについて。国家へのケアについて。生態系へのケアについて。神、或いは自然への恐れについて。

 

 最底辺とは、一体何を指しているのか。自立を支援する者の自立を支援する者は、一体誰なのだろうか。世界の母は誰であるのか。あるいは神は。

 

 ケアにおける保守とは何だろうか。ケアに固有の領域はどれ程の空間を占めているのか。それは、実践を通して徐々に分かって来るはずだ。「この年になってやっと仕事が愉しくなって来た、カネの稼ぎ方が分かって来た」と言っていた叔父の言葉。忍耐。父の言葉。

 

 つまり、物事の全体を把握するには相応の時間を掛けて得られた経験が要るということだろう。それは仕事を覚えるという意味ではなく、その仕事に纏わる様々な事象について通じるということでもある。一般性の獲得ということであると同時に、個性の滅却ということである。純化と呼びたい。清廉ということだ。

 

 知ることとは、実践も知識も要るのだとしたら、私はどちらも必要だ。