Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

箴言めいたことなど

・言葉にすると次元が一個軽くなる。 ・狂気とは言語化、意識化、構造化されるべきではない人間性のタブーである。 ・タブーを破ることが美の表現ではないのは、全ての自殺が美しいとは限らないのと同じだ。 ・日本人であるとは源氏物語がおおよそ分かること…

映画が退屈だ

映画とはこんなにも退屈だったのか。私は嘗ての自分があんなにも映画のスクリーンにのめり込んでいたのを思い出す。映画が新鮮だったころ、私は映画をまるで使用禁止遊具のように感じていた。だが今は、誰も私を禁じることはない。私は完全に映画を自由に観…

破壊衝動を破壊すること

性的没入感のことを集中と呼ぶ。(オナニーとは、一日のなかで最も心身の充実した時間であり、知行合一の行為であり、嘘偽りのない誠実な気持ちの身体表現であり、自己実現に最も近い経験であることに、私は正直に認めざるを得ない)集中の継続のことを努力…

Teacher, Drummer and Hip-Hopper

教師とドラマーとヒップホップ・ファンの三つの社会学的カテゴリーを一身に引き受けようとするのが、私の治療計画であり、私の将来設計であり、私の畏怖であり、私の生き甲斐であり、私の希望であり、私の死と再生の循環であり、私の私たる所以であり、私の…

会うべき人・観るべき物・知るべき事

一日とは一生の縮図であるとすれば、一生とは一日の拡大図であろう。産まれてから死ぬまでの間に、または朝目覚めてから夜寝るまでに出会うべき人間、観るべき物、知るべき事とは何であろうか。私は、下らないことを知り過ぎているし、意味のない物を観続け…

普通と異常の間

普通のごく平凡な人間ならば必ず音を上げてへこたれる様な状況でも、知恵と工夫とユーモアの精神によってその危機を乗り越えてしまう、そんな人間は強い人間だと他人は言うだろうが、きっとそんな人間も本当の危機に接したならば、どう動くかは分からない。…

死と恋

希死念慮と恋愛感情は恐らく同じ激情の表象に違いないと思うのである。死と生、破滅と結合、無と有、孤独と運命。いずれにせよ思いに囚われて身動きが取れなくなる点で、全く同じ心理状態に陥る。 私は単なる死の欲動が、本当の絶望であると取り間違えてはな…

想念体

masterlessからrootlessへ。それはlibertarianのmentalityからも異なっている。freedomとはconscienceにconsistentしているexistenceであり、過剰なまでにmeaningfulで、colourfulで、logicalである。humanityとimmortalityのcoexistを求めているから、imagi…

今日を生きる

ありがとうと言えなくなった。いただきますと言えなくなった。おいしいねと言えなくなった。 立ち止まることが多くなった。一人の方が楽だと思うようになった。本が唯一の心を開く相手になった。音楽が唯一の心を満たす声になった。 スマホを触る時間が一日…

朝の想い

激しく熱く昂ぶる火照りのある指先を求めて、誰かが誰かに愛撫されている十字路で、俺はまだヘッドホンが取れずに、耳の中にファンクを注入しては口から何かを吐き出してる。それは美しい言葉ではなくて据えた臭いを放つ極めて糞に近い嘔吐と胃酸と未消化の…

The third time is a charm

新しい学問について、三日でお試し・三週間で速習・三ヶ月で基礎固め。これは私のモットーである。三度目の正直(英語ではthird time luckyという)とは、私の戦略の基礎である。何度でも挑戦することは私にはできない。三回以内で成功させることが、私の人…

三発勝負

何事かを始めるに当たって、当面必要になるのは、道具でも衣装でもなくて、資格すら絶対でもなく、喰わねばならないという危機感と、このままではいけないという倫理的要請と、そうした内面から沸き起こるlibido(性衝動・性的エネルギー・無意識の作用)の…

神経症治療の一環としてのスペイン語習得

表題の通り。今日から始めよう。まずは辞書選びから。

二千十九年目の戯言

信頼の住処と希望の行く末を案じて今日の震源地を探る。古き物から生産される現在の暮らしは、いつも脅かされ、憂い、黄昏れている。過ぎ去りし日としての本日は、既に恐れられた未来である。私は昨日と明日の私たちにサンドウィッチされた一枚のレタスかハ…

スマホとニヒリズム、そして試される良心

私の携帯電話は自慢のXperiaの最上位機種であるXZ PREMIUMである。とは言っても、もう一年以上も前の「最新機種」であるから、今となってはマーケット的には屑鉄同然である。携帯電話の時間の流れはリニア新幹線より速い。 私はこの携帯電話にこれ以上ないく…

私とは何者か

学歴があって、仕事がなくて、好奇心があって、心の病もあって、道に迷いやすくて、路頭にも迷いそうで、学資ローンもあと十五年残ってて、親に面倒を見てもらってて、でも親孝行もしたくって、でもバイトと派遣で精一杯で、来月に控えた就職試験の勉強もし…

私の内部に答えがなければ・・・

出来ることをやろう。出来ないことをやるまい。出来ることが一個でもあればそれにしがみつこう。よく出来るように努力しよう。その内にきっと、きっとね、出来なかったことが出来るようになってるかも知れない。依然としてできないままかも知れない。それは…

カーテンの色

独りぼっちは淋しいし辛いし悲しい。だが、本居宣長のいう「物のあはれ」はひょっとしたら学問の条件かもしれない、などと思って自分を慰めている。そうだ、これでいいんだ。孤独でいい。孤独だからいい。集中するためには孤独にならねばならない。孤独と闘…

英語学習・音楽鑑賞・読書

私の生活を満たす三つの行為は、英語学習・音楽鑑賞・読書であり、これ以外は在り得ない。そう決めてしまった。少なくとも私の意志が変るまでの当面の間、私はこの三つの行為を順繰りに楽しむつもりだ。 英語学習は更に三つに分かれる。音声・語彙・文法の各…

希死念慮百回、暴食一回

百回死にたいと思ったら、一回ヤケ食いしてもよい。これは私だけに適応される特例措置である。事実、今日私は百回死にたいと願った。精確なカウントは不可能だが、少なくとも三十回は思い詰めたし、寄せては返す波の如くに、何度も何度も死の欲動が押し寄せ…

天才と人格者

天才とは手塚治虫のことであり、斎藤秀三郎のことであり、パスカルのことであり、太宰治のことであり、ドストエフスキーのことであり、エマーソンのことであり、ウィリアム・ブレイクのことであり、マルコムXのことであり、道元禅師のことであり、西田幾多郎…

僕の住む町

下らない。まあ、僕の暮らしている町は下らない。僕の暮らすマンションの一室から見える半径三キロ圏内の暮らしぶりは、退屈で凡庸でだらしなく、奴隷的平和を享受し満足しており、危機意識が無限に希薄であり、実際に天災があれば一瞬で洪水で流され打ちの…

未来

未来は誰にも分からない。だから希望はどんな場面・文脈・状況においても確かに実在することができる。意味は生じ得る。差異は作り出せる。発見と工夫次第でいくらでも喜びを見出すことが可能だ。その可能性は、私の知らない所で、きっと転がっている。また…

美しさへの傾斜

救われたいと思う気持ちは、美しい人に出逢いたい・美しい物に触れていたい、美しい事に囲まれたいという欲望と強力に結びついている。信仰心と唯美心は、私の中でピッタリと貼り合わされている。 仏教は美しさを嫌うようである。全て移り行く世界で、一個も…

心象風景

思い詰めていて苦しいとき、自然と手が伸びるのは中島義道の『カイン』である。これは一個の習慣になりつつある。苦しくなったら『カイン』を読む。何度も読んだので新しい発見はない。発見など求めていないからいいのだ。感動すら絶対に必要ではない。ただ…

習慣とはまるで・・・

わたしの生活習慣を区分すると以下の二十程度に収まるだろうか。 ①歩く:速度・手の振り・腰使い・目の位置・何を観るか・何を聞くか ②食べる:食べ物・道具・姿勢・時間・気持ち・速さ・味わい・家・店・独り・一緒 ③読む:読み物・道具・姿勢・時間・気持…

残り、百記事

ブログを始めて直ぐに思いついたのは「千の駄文を書き上げるまで止めない」という目標だった。こうした数値目標は人間を前進させる。数だけを追っかけていればいいのだから、中身について再考したり、云々かんぬんする必要が全くないからだ。しかし、私は相…

世が世なら・・・

世が世なら私はもうとっくのとうにくたばっていた。こんなに元気が無い人間は、否、元気があるのにも働かない人間は、真っ先に世知辛い世の憂き目にあっていた。今の世は、働く人間が辛い思いをして、一生懸命に働く人間は虚仮にされ、軽んじられ、疎まれ、…

笑い考

笑いについて考えることは、普通の人はしない。笑いとはなんであり、何時どういう時に人は笑うのか。そういうことについて私たちは普段考えない。ユーモアの解体とは即、幻滅の悲哀に通じることを直観しているからだろう。笑わせることを商売にしている人間…

意志と我慢

意志とは自由な精神の躍動である。精神を拘束し、強制することを「我慢」と呼ぶとすれば、私に必要なのは後者の力であろう。精神の動きを止めさせ、落ち着かせ、一個の作業に集中・没頭・埋没させ、他の一切の邪念を薙ぎ倒させるような強力な観念ないし存在…