Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

集団的習慣

 ヒップホップと習慣。こんな取り合わせは上手くいくはずがないように見えるが、でも今の私に残された文化は、この二つだ。いや、この二つに絞りたい。ヒップホップを温故知新の表現体系といったのはつい数時間前だが、習慣もやはり温故知新の実践体系である、と思いついた。自分の生まれた場所、空間、家族、友人、学習塾の先生、学校の先生、近所の人たち、地域、などなどの私を取り巻く自然環境と風土、街並み、風習、地域性、(県民性って言葉があるとしたらそれだ)から自ずと帰結される私の個人性、集団性、市民性、などなどからさらに自ずと形成される私の習慣や振る舞いかた、話し方、総じて「ライフ・スタイル」。

 こうやって日本語を通じて物事を突き詰めて考える習慣が身に着いたのは、一体いつごろからなんだろうか。初めて自分の死を明確に意識したのは、小学6年生の時に患った大病の手術の時だろうけど、そう思うともうこうやって考え始めて、15,6年経っているわけだ。(幸いその病気は完治してます。)習慣とははたしてどんな体系を持っているんだろう。

 こういう時、ヒントになるのが西部邁先生の言葉。つまり、人間の生活を四面体として捉える試み。結構いい線行ってるんじゃないかな。(失礼)つまり、人間交際の四角とは、集団性、個人性、公性(市民性に近い)、私人性のミックスであると。この人間観を学問にも反映させて、政治学、経済学、文化人類学社会学と区切っている。ものすごいこの学問体系を、たった一人で完成させたのだから、やはり西部先生はその全仕事を全集かなんかにして保存版を出さないといけないだろうと思う。大局観を持つとしたらやはり保守系論壇には敵わない。歴史の全体性を観ようとしてるんだから、仮にその仕事が結実になくても、その歴史感覚だけは、ヒップホップにもぜひ取り入れられて欲しい。(というのも、ヒップホップがどうしても新自由主義的な、進歩的知識人のものになりすぎている感があるので。)

 とにかく、この4要素を軸にして、習慣の形成を考えると何か見えるかもしれないということで、今日はそのうちの1つ。集団性に焦点を当てて考えてみようと思う。

 集団的習慣とは、まさに慣習のことである。暗黙のルールと呼ばれたり、不文律と呼ばれたり(同じか)、エチケットや、マナーもこれに入るんだろうと思う。常識もはいるか。いずれにせよ、そういった実地の体験がこれを涵養するものと推察する。とすればだ、集団的習慣は、まさにどの集団に属するかが決定的な要因になるわけで、会社なら会社、地域なら地域を選ぶ権利を有することにもつながる(はずだ)。また、集団的性質は選べる種類のものと既に決定されている種類のものに分けられれる。前者よりも後者の方が、実は、圧倒的に多いことにも注意が必要だ。自分が男であること、成人であること、地方出身者であること、核家族で育てられたこと、背が比較的高いこと、最近太りすぎていること(これはまた別の機会に)、足が大きいこと、身体がでかいこと、などなど。生得的なものが今の自分の生活の至る場面の至る選択肢の中にすでに内蔵されている。集団的習慣の基礎となるものは、即ち、こういった生得的な種類の決定事項をできる限りまず認知し、理解することから出発せねばならないのである!

 その自己認識、自己理解の上にあって初めて成立するのが、先ほど述べた、会社でのマナーや常識や、そういった類の集団的習慣になるわけだ。社会人としての常識を身に着けようと思うのならば、やはり社会に入っていって、自分の肌で感じたことをベースにして、自ら形成するしかなさそう。また、どんな社会や会社を選ぶにしろ、すべての選択肢がオープンなわけではなく、自分の生得的な集団的習慣に沿ったものを選んでいくと、おのずと決定されるようであるわけでして、つまり、自分がどういった社会で育ったのかを所謂「自己分析」して、(あんまりこの言葉を多用しすぎる昨今の風潮には異議を申し立てたいが)、その結果、会社の方針やら会社の実態やら、業界の立ち位置などを前調べした上で、できる限り慎重に選んでいくのが正解な気がします。つまり、会社選びや住い選びは、集団的習慣の中でも、唯一自らの意志と決定が大きくその結果を左右させうる種類の要素なんだろうと思います。

 習慣作りというと、なにか自分を全く別の人間に改造する大計画のような意味合いがありますが、恐らくその側面は、この集団的習慣の範疇というよりは、私人の範疇で取り扱うべき要素である気がいたします。集団的習慣は、まさに、その集団を成り立たせる歴史性(会社ならその沿革)をまず第一に尊重すべきものであると考える私は、少し古風すぎるのでしょうが、でもそっちのほうが習慣形成の上でも安心すると思います。

 また今度は、この私人的習慣、つまり習癖について考えていきたいと思います。