Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

比喩で考えてみる

 最近ハマっている比喩は、自分の身体を機械に例えて考えることだ。車と運転手の関係に例えれば、やる気が足りないという正体のよく分からない事象も、エンジンオイルが交換時期に来ているくらいのもんかと腑に落ちる。食事はガソリンのようなものかと思って居たが、分子生物学者の福岡伸一氏の動的平衡理論によれば、血液から内臓から爪の先、髪、皮膚、網膜に至るまでが、循環しているそうなので、食事とはある意味、身体の全てと言っていい。血液の循環を担っているという点から行けば、ガソリンの働きをしているのは食事に於ける水分のようなものだろうか。

 無論、このような比喩が全てしっくり来るわけではない。人間には本来必要のない、だが自動車には必要な物という場合もあるだろう。バンパーやリアー・ウィンドウと言った、安全に運転するための装置は、人間には付いていないし、大体人間は二本足、車は四本足だ。なんだかこの比喩も馬鹿らしくなってきた気がするので、比喩を変えよう。

 携帯電話で考えてみるのは、どうだろう。充電と放電の関係は、どこか人間にも分かるような気がする。ずっと充電しっぱなしで使うと、バッテリーがへたりやすくなるので、最後の1%まで使い切ってから、寝ている間にたっぷり再充電して100%に戻してあげる。これは人間の休み方と似ているかもしれない。勿論人間は一般的に体力が30%以下が毎日続くというのは過労気味であるし、毎日毎晩、活動限界に近づいていたら死んでしまう。(活動限界と言うと某アニメを思い出すが(笑))しかし、人間は本当に追い込まれてギリギリの状態になると自動的に自己保存の本能が働いて、尋常では決して出ない爆発力が産まれたりするものである。提出期限に間に合わせるためには、人間は己を獣と化して、わき目も振らず猛進することができる。この爆発力を、私は半ば意識的に出すことが出来て、それゆえ幾度もピンチを乗り越えてきた。(しかし大勝負の場面では通用したことがなかった。勝負勘が大切である。)話を携帯に戻せば、人間の体力や知力というのも、バッテリーと同じように、使わなくても勝手に放電される。余りにも長い間使わないで放置していると、終いにはバッテリーが死んでしまって再起動することが不可能になってしまう。携帯はバッテリー交換ができるが、人間にはそれができない。人間のバッテリーとは、恐らく、魂のような漠然としながらも、確かに存在するような曖昧なものなんだろう。パワー・スポットなどといって神社や仏閣、林道を歩くのは、まさに日本古来の神道的発想がベースとなった充電である。人間の充電に必要なのは、水や空気、清潔で神聖な場所と時間、深呼吸、散策。ここに私が付け加えたいのは、静寂、孤独、祈りである。そうした充電の方法を自分で見つけるのが、今私のすべき「仕事」のようなものなんだろう。