Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

あれ、もしかして死んでる!?

 「死にたい」という言葉が不意に心を衝くことがある。よくある。例えば風呂上がりの煙草を吸っているとき。論文の終わっていないのを確認するとき。コンビニで菓子パンやカップヌードルを買おうと手を伸ばすときとき。布団に入って2時間経っても寝れなくて、横の壁をじっと眺めているとき。最新号のスピリッツを見て「ウシジマくんは翌週号からです」とあるのを見たとき。そう、この言葉はいつ何時も現れるか知れぬ、お化けの言葉だ。

 そのことに少し悩んでいた。どこか頭がおかしいんじゃないかしら。ストレスが掛かっているんじゃなかろうか。もしかして仕事でかなり無理をしているんじゃないかしら。論文なんてほんとうは書きたくなんじゃないかしら。もしかしてあの人に復讐をしようとしているの?ぼくが?あんなに人から「優しい」と言われ続けてきた君が、本当は人殺しの予備軍だったのか?君には失望したよ。そうやって、もう一人の自分、スーパー・エゴ君が弱っている僕をなじる。僕は「ちがう!」と反抗する。思ってなんかない!死にたくない!生きたい!

 でも真から「ああ、死にたい」と呟いてしまうときもあった。「もう、いっか」と敢えて言葉に出しみた。絶壁に立つようなスリルを味わっていた。でも、本当に言葉にすると、それが音になり、声になり、僕の耳に入ってきて、再び脳内に侵入してくる。そして、僕を犯す。僕は僕自身に毒されるかのように、自分の足を貪る蛸のように、緩慢な自殺を遊んだ。自己完結の遊びには、始まりもなければ終りもない。永遠の時間が一瞬に過ぎる様な感覚を味わった。だから気づけば、全く人に接触しないまま、一月が経っていたなんてことが何度かあった。

 あの時の自分がいたから今の自分がある、なんて軽はずみなことは言えない。まだ、自分でもそのことについてはよく分かってないのだから。だけど今は、あの頃に戻りたくないような気持だ。でも言葉はまだ頭に残ってる。だから、何か、処世術を開発しなければ。次のステップに進むために、今日はそれについて書こうと思う。

 まず「死にたい」を「しにたい」に変える。「しにたいしにたいしにたいしにたい」と繰り返す。呪文である。そうするとだんだん「たいしにたいしにたいしに」に意味が失われていく。もっと続ける。「たいしにたいしにたいにしたいにしたいいしたにいしたにいしたに石谷!」石谷さんなる人間の名前に変わる。谷石、谷医師、タニシ、などに変化することもある。そうすると、何を考えてるのかわからなくなる。そうして、馬鹿馬鹿しくなって、止める。終わるとちょっとだけ楽しくなっている自分にきづく。

 ある言葉を繰り返すと固有の意味が失われる。固有の意味を失った言葉を繰り返すと自然に新しい意味が産まれる。言葉と意味の間の自己複製である。それが言葉遊びの本質だとするなら、もし本当にそうならば、僕にとってこれほど有難い事実はない。

 もし何かの言葉に囚われて困っている人がいらっしゃるなら、お勧めである。お試しあれ。