Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

英文を解読せよ!

  英文に対して並々ならぬ情熱を燃やし始めたのは中学一年生からだから、今年でもう16年目に突入する。人生の半分以上を英語に費やしてきた計算になる。これは馬鹿なことなのか、立派なことなのか、判断は読者に委ねるが、兎に角私はあの、英文解釈という奴が大好きだったため、受験英語で苦渋を舐めた経験が皆無である。これは幸運であった。英語と現代文と古文と地理以外の全ての教科に殆ど学問的な関心を持てなかった私にとって、当時の現国と英語を最重視する大学受験の構造は、至極有り難かったと云わねばなるまい。

  現代文にせよ、古文にせよ、無論英文にせよ、私は今まで大変な誤解をしていたことを知った。それは偶然手に取った『暗号大全』という本の序文に答えがあった。著者の長田順行氏は、その序文に、日本人が情報化の時代になっても未だに暗号の考え方を身につけない原因を、一つ目に徳川300年の鎖国政策と、二つ目に日本人が平素から、漢字、平仮名、片仮名の複数の文字使用を同時に行っており、日本語自体に特殊性が備わっていることを指摘している。続いて本論に入る前の断りとして、用語の定義があるのだが、ここに私は最も感銘を受けた。

 

[用語に関する備考]

・「コトバ」身振り言語、音声言語、文字言語の総称

・「原字」(暗字)、「原語」(暗語)、「原文」(暗号文、暗文) 

   暗号化する前の文字、単語、または文。なお、暗字、暗語、暗号文、暗文はその結果

・「翻訳」味方同士が、暗号文を規約にもとづいて原文に戻すこと

・「解読」暗号の規約を知らない第三者が、暗号文の特徴や使用上のミスを利用して原文を読み解くこと (p.16より引用)

 

  いたく感動した。なるほど!文学の論文を書くとは、まさにこう言うことだ。英文とはある種の暗号文であり、使用上の特徴や書き手の誤りから類推した結果に基づいて原文を読み解いたことを、簡潔な論理と丁寧な語り口を持って明快に結論付けるものなのだ。

 

  今までの英文解釈的発想に基づいた読み方の問題点は、いつも既に答えが手元にあったことだ。自力で日本語訳を作った後は、正解の日本語訳と照らし合わせればいいだけである。しかし、論文を書くためには、既にある翻訳を斥けて、自らの解読結果を示さねばならないのだ。解読結果の正確性を担保するのは、codebreaker(解読者)が如何にして英文に隠されたcode(規約)を把握し、体系化し、そのcodeを使えば、理論的に言えば誰にでもその暗号文が作成できる、再構成可能性であるはずだ!

 

  この感覚が大切である。英文解釈というとどうしても超一流の訳者による超一流の日本語訳を規範としてしまいがちである。彼彼女の日本語を絶対の規準としてそれを真似ることについては何の抵抗もないのだが、幾分、進歩の程度が曖昧で、上手になっているのか停滞しているのか、下手になっているのか勘違いしているのか、実際に添削してもらわないと自分では判断できなかった。しかし、日本語の表現力を別問題として考え、翻訳の評価をthe system of code(暗号体系)の使用による原語の再構成可能性であると定義すれば、明確に把握できる。自分の翻訳の評価軸を自分の内部に持つことが出来て、尚且つそれを実演販売のようにデモンストレーションすることすら可能かもしれないのだ!このアイディアは結構素晴らしいんじゃないだろうか!

 

  長年分からなかったものが遂に腹に落ちる感覚ほど至福の瞬間はない。これで落ち着いて論文に取りかかることができそうだ。