Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

自嘲は「助けて」のサイン

 昔からわたしは自嘲気味だった。誰かを傷つけて笑いを取ることよりも、自分の弱みを見せつけて、どうかあの子よりも僕を笑ってくれと言わんばかりだった。誰かが傷つけられそうになると、その子の前で、もっと愚かな馬鹿なかっこ悪いことをした。そうすれば僕が注目を浴びている間に、その子はその場から離れることが出来る。もしくは僕を馬鹿にする立場になることすらできるかもしれない。そっちの方がわたしも都合がよかったのだ。わたしは生まれつき身体が大きく、喧嘩をすれば誰も勝てないことは明白だったからだ。そのかわり奴らは口を使った。罵った。笑った。ナイフのような目線を使った。わたしは耐えた。視線などわたしを殺すことはできない、と信じた。いざとなれば俺はあいつらに腕力で勝てるのだから。だから、いくらでも笑うがいい。わたしは英雄になりたかったのだろう。

 タスケテと言われることが何度かあった。それは鏡の中の自分からだった。もう耐えられないよ。誰かに助けを呼びたかった。でも鏡の中には、一人で弱々しく泣いている、体の大きさを持て余して狼狽している、12歳の男の子しか居なかった。

 太宰治の『人間失格』を初めて読んだとき、衝撃を受けた。自分のことが書いてあったからだ。俺のことをなんでこんなにも知っているのだろうと思った。葉蔵とはわたしの名前だったのだ。しかし「わざわざ」と虚を衝いてきたのは太宰治本人だった。心底驚いた。もう、止めようと思った。こんなことをしていたら、いつか俺は本当に起き上がれなくなるかもしれないと思った。もう中学生になっていた。周りの奴らにも腕力では太刀打ちできなくなってきた。奴らは勉学を捨てた上に、まさに馬鹿の一つ覚えで、野球やサッカーをして体を鍛えているからだった。奴等の連帯感は凄まじく、一人で立ち向かおうものならチームプレイの戦術で袋叩きに会うだろう。弱者を助け強者を挫く任侠道は諦め、その為の体を鍛えることも止めた。更に、弱者の権利を振りかざす強弁な弁護士のようなこともしたくなかったので、勉強することも止めた。そして文学や音楽にのめり込んだ。芸術世界に自分の住処を作った。これは功を奏した。誰にも邪魔されることなく、遂に自己世界の安定と平安が保たることとなった。芸術仲間もできた。私は彼らと話している時だけが、幸せだった。

 今は、そんな昔のことばかり思い出す。もしあの時の僕に芸術が無かったら、あの「タスケテ」を拾ってくれることもなく、惨めな生活しか待っていなかっただろう。音楽や文学や芸術が救世主になることは、現実にあるのだ。私はその生き証人である。それだけが今のわたしのアイデンティティを支えているのである。