Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

マッチングアプリの悲劇

  恥ずかしながら一つ告白すると、私は最近マッチングアプリを利用している。マッチングアプリとは、自分の顔写真と詳細なプロフィール(年齢、身長、体格、チャームポイント、学歴、年収、出身地、在住地、職種、家族構成、血液型、使用言語、飲酒するかどうか、喫煙するかどうかなど)をアプリ運営者に送り、審議の末に内容が認められた後に掲示板に貼り付けられ、不特定多数の眼前に置かれ、まるでオークションのように評定が下されるシステムである。女性の利用は無料であるが、男性は毎月2000円~3000円程度支払わなければいけない。相手が自分を好いてくれたら、イイネ!の通知が来る。互いにイイネ!が成立して初めて会話ができるのだ。会話が始まっても、しかしながら、長続きするかは分からない。兎に角相手の気を引くような話題や、性格や趣味の一致、何となく気が合いそうな雰囲気作りがなければ直ぐに破談である。マッチングした後の運営からの配慮は一切無い。マッチングしたにも関わらず、一度も会話をせずに破談することもある。逆に言えば、同時に複数の縁談を進めることも可能ということだ。これについても運営はノータッチである。つまり、このマッチングというのは機械的な操作の結果であって、その結果をいかに利用するかは本人次第なのである。

  私の利用しているアプリでは、同姓の人気登録者のプロフィールを参考にすることができる。イイネが来ないときには不安になってつい見てしまう。なるほど、皆さん美男子・好青年ばかりである。モデルのような体型、髪型、肌艶、服装、そして、年収の高さ。500万円以上が最低ラインなのか、800万円以上という御仁も少なくない。たまに400万円の方もいらっしゃるが大抵根っからの好青年タイプで、職業も小学校教諭や教育関係の優男が多い。私のような学生で年収もまだ無いような者は一切出てこない。

  マッチングアプリを使うに連れて日に日に気持ちが落ち着かなくなってくる。自分を好いてくれる人が居る時は有り難いな、頑張ろうと思う。しかし、自分には絶対マッチング出来ない高貴な女性たちの存在を感じることも多々あり、そういう時はどうにもやるせない気持ちになってしまう。地位も無ければ年収も無い自分には今マッチングしている女性でも勿体ない位だと思ってしまうと同時に、そんな下世話で失礼で卑しい事を考えてしまっている自分に心底幻滅してしまうのだ。

  恋愛市場とはこうも過酷な世界だったのか。マッチングアプリを使ってつくづく思ったのは、恋愛とは現実世界の不条理そのものであるということだ。生まれつきの顔立ちや性格、家族や親戚からの援助、所属する共同体、出会った友人知人、卒業した学校、勤めている会社とそれにぴったり比例する年収や生活の質などがこの市場においての絶対的な条件なのである。貧相な顔立ちで、家も貧乏で、悪友に囲まれて育ち、年収も300万円以下で、更に性格も悪い人間はマッチングアプリを使ったところでもうどうしようもない。これではまるで惨めな人間は結婚するための資格が無いと宣告されているようなものだ。結婚は人生の墓場というが、結婚するための資格を最初から与えられていない人間は最早無縁仏になる他ない。 

  無論、そんな事は決してない筈である。人間の価値など人間には決して量れない筈であり、無力な人間の作った機械など云うに及ばない。それにも拘らず、このマッチングアプリ機械的な操作の為に、その利用者たちは自らの運命の価値すらも正確無比に量られているような錯覚に陥る。私たち利用者はこの機械的な符合が単なる錯覚に過ぎ無いことを自分によく言い聞かせなければならないだろう。さもなければ自分本来の価値を恋愛市場の価値と一致させる方向に走り、その結果、本来の自分の人格までも歪ませてしまうからである。しかし、たまたま顔立ちや社会的地位や年収や趣味が上流層に属していると、まるでその人間の人格や価値までも認められたような気分に陥ってしまう。また、他人を知らず知らずの内に、自分の立場から見上げたり見下したりするだろう。年収は負けているが顔立ちと趣味は勝っている、という風に。こうした単純思考の傾向は、人間なら誰でも持つ弱さや狡さだろう。機械はこれを教えないどころか寧ろ助長する。イイネをもらった数によって、自分が同姓の利用者の中で何位になるかを逐一報告してくるからだ。だからこそ、利用者本人の批判的な視点が無ければ、いつかはマッチングという錯覚が恋愛という直観に変わってしまうだろう。恐ろしい事である。

   マッチングアプリの悲劇とは、誰もこの状況を悲劇とは思っていない事実のことである。むしろ皆さんこれを喜劇だと思っていらっしゃる。このマッチングアプリ世界とは、言うなれば機械に踊らされた自動人形の舞台である。ここには観客も居なければ、演者も居ない、喝采も、感嘆も、感涙も起こらない。ここで起こっている事象とは、雄と雌の符合と断絶の無限循環と、雄のクレジットカードの毎月の支払いだけである。純粋に人間同士の恋愛が始まるのは、初めて二人が出会った瞬間だろう。それまで私たちは自動人形の振りをして躍り続けなければ行けない。雄はマッチングできるまで永遠に支払いを続けなければならない。これを悲劇と呼ばずして何と呼ぼうか。