Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

ファスト・ライフより『森の生活』

 ファスト・ライフとは嘗ての私の生活様式そのものであった。目的と手段が決まれば後は猪突猛進であり、目的が達成されたらまた新しい目的を与えられ、手段を改良しながら、再び猪突猛進する。その繰り返しであって、それ以上でもそれ以下でもなかった。目的とは主に大学受験であって、友人作り、部活動、趣味などは二の次でよかった。大いなる目的のためには、如何なる手段も存分に支給された。書籍代や塾代、予備校生時代には丸一年の生活費も返済の必要なく与えられた。大学受験はわたしだけの目的ではなく、家族にとっての一大イベントだった。否、家族どころか、受験仲間、親戚、学校、塾の先生、予備校講師などの大勢の人間たちを巻き込んだ特大イベントだった。それに加え、わたしが幼少より聞かされたことは次のような箴言に近いものだった。「我が家には与えるべき資産はこれっぽっちもない。その代りに学力だけはつけさせてあげる。勉強はきっと将来役に立つから精進して頑張れ。本当に一生懸命努力した経験こそ将来社会に出てもきっと役に立つ。家族全員でお前の大学受験を応援するから、お前もそのつもりで頑張れ。」わたしは取り立てて反抗することなく、この恩義を報恩感謝すべく必死に頑張った。わたしは地元の中高一貫コースの私立校に六年間通い、更に一年の浪人生活という苦行の末に、国公立大学進学という名の栄光を遂に勝ち取ることが出来た。この時の達成感は一入だった。なぜならこの目的のためにわたしの学童期からの勉強とそれを支えてきた家族の苦しみがあったからである。だからこそ志望校の合格通知は家族のこれまでの努力とその栄光を称える賞状だった。

 大学進学、海外留学、大学院進学を経て、遂に教員採用試験に合格し高校教諭の職を得た時、わたしに残された課題は卒業論文だけになった。これをクリアすればやっと一人立ちができるはずだった。しかしわたしはこの最終課題をクリアすることが出来なかった。提出できなかった旨を電話越しに伝えた時、両親は膝から崩れ落ちるように泣いた。わたしも泣いた。わたしは死のうと思った。修士論文に苦しめられ、それまでも何度も死にたいと思った。当時のわたしは自覚していなかったが、その時には既に軽度の精神疾患を患っていたのだ。そんな時、教育委員会から合格を取り消さない通知が来た。わたしは殆ど正気を失いかけた。こんな大逆転があるのか、これは夢ではないかと疑った。しかしその翌月の四月からわたしは本当に高校教諭になってしまった。心の用意もできないままわたしの教諭生活は始まった。

 四月からの過労と心労が祟って、六月に最初の休職の手続きを執った。九月から復職したが、十一月から二度目の休職を強いられた。その年の暮れにわたしは正式に退職の手続きを終えた。退職の直後にも関わらず、病身を圧して再び修士論文に取り掛かった。苦労も空しく二回目の提出期日の二月十三日はあっけなく過ぎてしまった。わたしはあの日一人ベッドの上で寝ていた。気づくともう夕方になっていた。提出期限はその日の正午十二時までだった。わたしは目の前の時計の針が午後四時を指しているのを見て心底ホッとした。わたしの課題は遂に時間が解決したと思った。わたしはまるで自分の魂が救われたように感じた。身体や心や精神が一気に軽くなったのだ。もう何の心配もない。やっと生きる気力が湧いてきた。今振り返れば、自分が死なずに済んだ事を喜んでいたに違いない。提出できなければ橋から飛び降りる(くらいの)覚悟だったからだ。だからこそ、提出期日が過ぎても尚今ここで生きている自分を再発見できて無性に嬉しかったのだ。生に固執する哀れな己をその時初めて受け入れることができた。だから二月一三日はわたしの誕生日になった。

 現在、家族の元に帰って療養生活を送っている。死の匂いが旋風のように体の廻りを漂うこともあるが、大抵毎日元気で幸福である。嘗ての業人のような面構えも、頬にあった痘痕も、妊婦のように大きく丸まった腹の肉もすっかり消えてしまった。現在は後期復学に備え、三回目の修士論文提出に向けてできる限りの努力をしている。

 わたしは今、スローライフを選んでいる。正確に言えばそれを選ぼうと努めている。これまでの生活を改め、目的の設定と手段の効率化ばかりを追いかけるのではなく、良心の呵責に追い立てられるような緊張感を解き、身体を大切に守り労りたいのである。過ちを繰り返さないために、以下の三つの事を日々念頭に置きたい。即ち、静寂、清浄、祈祷の三つである。豊かさと静けさは同義であり、美しさと清らかさは同義であり、問いと祈りは同義である。言うなれば、ヘンリー・D・ソローの『森の生活』のような生活様式を持とうとしている。静かに、そこそこの友人たちと気長に楽しく暮らして往ければそれで充分である。