Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

習慣とは美学

朝に起きる 夜寝る
洗濯、掃除、買い物
散歩、読書、音楽
風呂、英語、着替え
昼は勉強もしくはジム、遊び
全て記録する、発見、改造

  絶望や苦しみや虚無感とは、するべきことが見つからない状態である。するべきことが見つからない内は、昨日の再生産と発見改造のサイクルを回るしかないだろうから、直向きに取り組むしかなかろう。

  満足や幸福や意味とは一瞬の気分に過ぎないから、そんなものは空語である。存在しないものを追いかけるのは止めよ。

  しかし、絶望や苦しみや虚無は絶えず体の中に実在する意象、事象、現象であると強く感じる。もしかすればこれも幸福と同様に気分の問題かもしれないが、しかし、こちらの方が目に見えるように明らかにあるようにも思う。目の前にあると感じるからだ。対処しようとすればするほど、こんがらがって分からなくなる。

  幸福もなければ絶望もなく、苦しみもなければ満足もなく、意味もなければ虚無もない。全て等しく無いのであり、これを説いたのが西部哲学や仏教の思想であるならば、こちらに傾こうと思う。

  日々の実践は、中庸、清潔、祈り、良心、といった穏やかな儒教思想でよい。

  困難なときは旧約聖書的な戒律と絶対の力の前にたつ畏怖を思いだそう。または救いの神を信じる努力をして、奮い立ち、望むものを得ようと思おう。キリストを信じよう。

  しかし、その一切が去った後は、仏教の教えに戻ろう。そして、また再び穏やかな日々が戻った時には、儒教を思いだし、困難なときにはユダヤ教キリスト教を思いだし、根底の揺らがない仏陀の思想を高めようと思おう。宗教は思想ではなく、習慣である。行為的直観である。思想は形而上的な主観である。どちらが現実により深く作用するかは明確である。根底が底無し沼のような深淵のほうが、結局、強いのだ。

  私は強さを求める。