Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

アイディアと構想(18/7/17)

・確認することから始める。私が何を考えて来たのか。記憶の底に眠ってしまって、もう一度引っ張り出すのは大変な苦労と時間がかかる。忘却の魔物はメモと注意深さによって退治できる。

・よさとは一元的で悪さとは多義的である。
神は一を司り、悪魔は無限を司る。
停止することの不可能な循環する身体、再現なく広がろうとする飽くなき精神、その両方を司る魂や直観という現象。人間の証明とはまさに悪魔の証明である。

 

・罪の証しとは何か。病の証しとは何か。死の証しとは何か。絶望は神の逆証明か?

 

・罰を受けた証しとは何か?健康の証しとは何か?生きている証しとは何か?救済の証しとは何か?

 

・神父や牧師や坊主はアウフヘーベンする

アナキストや新聞社や扇動家は還元する

 

・毎日blogを更新し、論文を推進し、落ち着きが維持できるという現状の奥で生起している筈の現象は、無限に近い情報の整理と身辺の秩序付けである。

 

・無意識は分からないままでよい。存在を想定するだけでよい。意識も分からないままでよい。結果を確認するだけでよい。確認するべきは、数量、良心の声の有無の二つである

 

・不確定性定理:We can't observe anything in this world.

 

・「…それは心心ですさかい。」 三島由紀夫『豊穣の海』のラスト

ニヒリストを越えた根源的勇気と覚悟

 

 ・つまり豊かなfuckとはthe Notorious B.I.G. aka biggie smalls

対応から把握しようとあえぎ苦しむfuckとは2pac rather Makaveli

 

When I die, Fuck it, I wanna go to hell.

'Cuz I'm a piece of shit. It ain't hard to fuckin' tell.

Christopher Wallace, Sucidal Thoughts

 

・今までの16曲(2*8)が、色が全て空であった、色即是空について歌っているのに対して、空こそ色である、空即是色について歌っている17曲目である。色即是空空即是色の無限ループからの解脱、涅槃が起こっているとすれば、When I die, fuck it I wanna go to hell. のfuck以降であるはずだ。Fuckとは空の認識の証だと考えて行けばよいのだ。

 

It ain't hard to tell, I excel, then preveil.

Nasty Nas, It ain't hard to tell

 

Heaven ain't hard to find.

All you gotta do is look.

2Pac, Heaven Ain't Hard 2 Find

 

・The most important rap music albums are like...

1. The Notorious B.I.G. (Christopher Wallace) ready to die (1994, Bad Boy Record)

2. Makaveli (Tupac Shakur) the don killumintati: the 7 day theory (1996, Death Row Records)

3. Nas illmatic (1994, Sony Music Entertainment Inc.)

 

・快楽主義の究極形態が自殺や殺人の自由とすれば、禁欲主義の究極形態は全宇宙の平和の実現だろう。前者の最悪な存在がBiggieで後者の最善の存在がTupacとなるのだろうか。二人のことを考えると自分の視野が広くなって後々に役に立つ。

 

・両極を見据えてみれば、この中庸の振る舞いのなんたるかが自ずと明らかになる。この場合政治学における最高善を中庸とすると、これは誠実さの実現になるだろう。

 

・誠実さとは何か。嘘偽りなく真心をもって他者を思い遣る態度や意思、またはそういった行為の結果から類推された判断のことである。

 

・罪悪感や良心の声、記憶の甦り(フラッシュバック)は救いの証であるとするならば、では罰の証とは何であるのか。

 

・罪悪感を感じない、良心の声が聞こえない、記憶を失ってしまって何も思い起こすことが出来ない状態である筈である。それが罰だ。

 

・ではなぜそのような罰を下されなければ行けないのか。どんな罪を犯したというのか。為すべき事をしなかった報いである。良心の声を無視した報いである。過去の過ちを繰り返した報いである。

 

・思い出そうとすること、これこそ救いへの道である。心の風景を見る眼を持つ者は救われる。心の声を聞く耳を持つ者は救われる。罪を罪として認め悔いることの出来るものは救われる。その筈である。

 

・では救われない者とは、贖罪の出来ない者なのか。仮に生を受けたその瞬間から死ぬ寸前に至るその瞬間まで絶え間無く絶望し続けた人間がいるとすれば、絶望の縁から生まれ絶望に育ち絶望のもとに帰るように自殺した子供がいるとすれば、決して救われない筈である。最後に救いを求めれば?その言葉は何か。贖罪の言葉、アーメンを唱えたら?

 

 ・TupacとBiggieを文学的に位置付けたいのならば、70年代から90年代の終わりにかけてのアメリカ文学の歴史を知らねばなるまい。アメリカの現代文学とはどのようなものなのか。Baldwinの位置付けは?

 

・Biggie Smalls 小我
 the Notorious BIG 大我

 

・ヒップホップにおけるBuddha Head。初出は?ヒップホップの書誌学的研究書はあるの?ビギーのリビドー、肛門的、近親相姦、何を表すのか。観点としての独自性はないが、議論において歴史的な振り返りが出来るかもしれない。アイディアの一つとして使っていものか悩むところだ。

 

・面白いが手に負えない気持ちもある。この姿勢について尾崎先生はどう思うか、一度伺ってみたい。つまりフロイトの深層心理学や、中観仏教、ユダヤキリスト教の専門用語を用いることに対する不安について。誠実な議論が出来るかどうか。興味深い議論より、誠実な議論がしたい。しかし誠実に解読しようとすればするほど思考がcontextから離れてしまう。これについてO先生はどう思うか。イイタイコトありきの議論に誠実さはあるか。それは議論ではなく説得や講談ではないのか。もっと言えば思い込みや勘違い、独白、独断専行になりはしないのか。論文における誠実さを担保するのは何か。

 

フロイトラカンも読みたいが今は無理。

 

・死者の声を聞くこと。また死者の声と声を心の中で共鳴させることについて。ヒップホップの文学研究において「原典に忠実である」
とは、彼らの声をより鮮明に聞くことであろう。または映像を見ることも含まれる筈だ。解読するためには主客同一せねばならない。

 

・視野が広いとは何か。彼らの生きた時代を出来る限りの資料を用いて再現することだろう。彼らの目線を思うとき、私の中の日本人的な発送は最大限度退却、滅私させるべきである。ジオラマのように細部まで再現するのだ。

 

・誠実であるならば、私はキリスト教について真剣に考えなければ行けない。真剣とは真面目に謙虚に素直に誠実にありのままに滅私奉公するかの様に教義を受容する献身的な態度のことだろう。あるいは、完全に教義を理解し説得され毛一本の疑いもなく直観出来るまで疑いをやめないと決心する反抗心でもある。何れにせよ、今のところユダヤキリスト教に対する信仰と義疑のリズムを保ち続ける行為的な直観が必要になる。

 

・こうした姿勢への反省は何を表すか。研究者としての倫理観の確立である。

 

・私は最も倫理的なラッパーがあの二人であったと信じている。またはヒップホップという文化体系の根本規範としての倫理観を知りたいのである。どういった法則が横たわっているのかを知りたいのだ。

 

・つまり私の研究の最大の目的は、ヒップホップという文化の根底規範を真に認識することである。仮定となる理論はヒップホップにおいては美よりも善の方が高次であることが示唆されており、そして善よりも真の方に重きが置かれていることだ。realityについての認識がまず最重要であり、次に行為の善さが問われ、最後に感性の働きが試されているのである。この態度の内に私はヒップホップのポスト近代主義からの解脱を見ている。真なる認識を求める態度を称賛するためである。

 

・美しさも善さも捨てて、真の直観のみを求めようとするのが二人のラッパーであった。特にビギーはその真の直観すらも捨てたのが偉かった。教義の全てに対して反抗すること=拳銃自殺という表現だった。その完全なる反抗を最高のリアリティーをもって表現仕切ったからだ。この態度の内に色即是空空即是色を見ようというのだ。

 

・飽きるとは不快のことだろうか。飽きるとは満足のことだろうか。飽きるとは状態であり行為であるため、文脈次第でどちらの意味にも変化すると思う。

 

・行為と状態の違いは何か。
行為とは意思である。動作であり、鼓動のような拍のついた一定のリズムである。陸上競技における手足の運びかた、体幹の維持、ドラムの演奏におけるスティックの動き、足の動き、目の動き、創作ダンスにおける振り付け、目線、口の筋肉である。

 

・状態とはこれらの行為が一定のリズムによって反復された一定の期間のことである。つまり時間のことである。それはダンスにおける場面である。文章における文脈であり、ドラムにおける譜面である。もしくはその行為の後の疲れであったり快感不快感である。

 

・飽きるとは瞬間の意思であるところの気分でもあり、ある程度の長い期間の継続する気分でもあり、つまり行為でもあり状態でもある。

 

・気分の転換とは、ダンスにおける暗転に似ている。曲と曲の間のスキットであり、文章における段落や章である。転換とはつまり飽きる状態から次の興奮に移るための合図である。

 

・定義付けとは不快な行為である。そうでないと、反駁したくなる。この反駁は無限に反復する。満足を知らないのが定義付けである。定義の快楽もある。ビシッと決まった瞬間は快感である。そのつぎの瞬間、不快の波が押し寄せる。だから、定義付けとは波乗りに似ている。波が来ないのに波乗りしようとするのは滑稽である。

 

・定義とは何か。意味を定めることである。または現象を見極めるために持ち出す量り、天秤、物差しのような利便的な道具である。定義を定義するものは誰か。それは己の吐く言葉である。

 

・一体言葉はどこから来るのか。それは他者からである。言葉を創造したのは私ではなく過去の他者である。過去の他者とは外観からしか量れないので、いつも私は不快である。完全に理解することは出来そうにない。あなた、こう考えていますよね!?と、他者を説得することは出来ても、その結果に自分が納得することはないだろうと思うからだ。もし自分が他者に完全に理解されてしまったら、私はその人に完全に帰依するかも知れない。

 

・父親との関係がこの緊密な状態に近かったように思う。しかしながら、私は私を定義付ける父を定義付けることは出来ない。これでは不公平である。平衡が執れていないので、またしても不快である。

 

・最も勇気のある人間とは、最も臆病な人間である筈だ。いや、そうでなければ行けない。なぜなら、私は今最も臆病な人間であることを自認し、尚且、最も勇気ある人間になりたたいと願うからだ。だからこれは論理ではなく希望である。そうであって欲しいと願っている。私に勇敢なる魂が既に宿っていることを願うのである。そして、その魂の導きによって、私の体も心も精神も勇敢であって欲しいと願う。勇敢とはところで自己犠牲の行為である。私の中にこの武士道にも似た自己犠牲の魂が宿っていることを信じる。

 

・意味を求める生き方よりも、苦しみを減らす工夫を求める。
今の僕の内部に充満しているのは意味と気分だ。意味はまた別の意味を呼び、解釈は無限に分割される。気分はその日の天候のように移ろい。意味とは解釈のこと、気分とは天気のことだ。人生や死や研究については幾らでも解釈できる。その時の気分によって、論理的に推考していったとしても、結論が変わる。気分とは空である。空気の循環である。解釈もまた意味の循環である。

 

・循環から離れるためには、どうすればいいのか。良心の声にはどう答えればいいのか。

 

・分からないままにしておく。中途半端に結論しておく。

 

・生活を循環させる方が大切だということ。生活の質を決定するのは、解釈や気分ではない。もっと目に見えるものの積み重ねだ。言葉によって表現されたものの連なりだ。論文の枚数だ。目に見えるものの大切さを再び知ろう。目に見えないものの空しさを知っているのなら。

 

・砂時計の比喩
一方に体、もう一方に知、砂を精神と見立てると、深く自分を把握することができた。

 

・散歩を苦行にしないコツは、目標の半分が達成されたら、もう完全に達成されたと見なしてよいことである。タクシーで帰らない限り、復路のことはもう考える必要がないからである。つまりもう帰らざるを得なくなっているため、歩くしかなく、そうならば、もう楽しむしかないからである。

 

・自信の根源はデカルト懐疑主義に連なり、延いては現象学、独我主義まで広がる。
バークリー、永井均ウィトゲンシュタインラッセルを読むべき。

 

・真理truthとは真実factではない。

 

・真実の集積が合理の綾に導かれて真理に到達するはずである。
真実に必要なものはその証言者である。証言者がいない場合は、その証言者の残した言語や芸術が、その代替に成りうる。遺物の全てが証言者や証拠に成るわけではない。それを見極めるためには繊細な眼だけが必要である。合理の綾とは数学のことである。幾何学の手がこの隠喩である。繊細の眼、幾何学の手を持って初めて真実を見極められたとしても、その結果を如何に正確無比に次の世代に残すか。言葉の論理と修辞がそれを助けるはずである。つまり、眼と手と道具が全て揃って初めて必要十分な真理を探求する研究者と成れるはずである。

 

・真理とは不可思議な幻想である。
全く偶然に、眩暈の中で悟るように分かることもある。それは解読のための糸をつかんだ瞬間である。それは決して離してはいけない。文字に残す習慣がこれを助ける。

 

・真理が歴史に昇華するには、言葉の綾と論理の正確さだけが必要である。もしこの二つがなければ、誰の眼にも止まらず、誰の手にも
扱われないまま散逸してしまうだろう。版権を得るだけでは不十分であり、電子データにするのもまだ不十分である。言葉と構造の偉大さが無ければ、誰にも面白がって取り扱ってくれないだろう。

 

・静かに、清潔に、秩序だって、祈るような姿勢で書かれなければ、誰も読まない。情感や迫力や雰囲気だけでは煩いだけである。いつか失われるだろう。

 

・私が死んだ後も、本は残るだろう。それは素晴らしいことなんだろうか?それについては未だ分からない。

 

・真理の反対はまた別の真理である。

 

・善の反対は悪であり、美の反対が醜である関係とは異なっている。真理とは唯一の普遍のものではなく、多様に存在し、多層な構造を持ち、如何様にも変化する。生成滅却の循環にある、その流れ自体が真理の住処であるが故に、事の一面を持って真理の全てを理解したとは言えない。なぜなら、汝がそう述べた次の瞬間には、もうその真理は存在しないかもしれないからである。真理は発見されるものではなく、キャッチ&リリースされる魚の様なものだ。真理を捕まえて、加工したり、調理したり、魚拓を取って飾ったりしても、それは真理を捕まえた一瞬の煌めきが事実であったことを示す証明書の様なもので、また次の機会に同様の真理が捕まえられる保証書ではない。

 

・では虚偽とは何か。虚偽とは行為であり結果である。意図的に理解しようと努めず、必要十分な論拠を示さずに独断専行した結果である。虚偽を目的とした虚偽は、真の虚偽である。虚偽を目的とせずに得られた虚偽は、幻想である。幻想もまた真理の不可思議さを現す。誠実な態度を持って得られた虚偽即ち幻想に対しては、そこに真理が隠されていないといって一笑に付すのは愚かである。なぜなら、その者が誠実であることは真理をつかむために必要な素質に違いないからだ。

 

・確実な方法が失われた現在、儒教的な研究の姿勢こそ求められている。つまり、誠実、中庸、良心の三者である。その反対の要素は、純粋、情熱、想像が当てはまるのだろう。真理に近づくには純粋な誠実さ、情熱的中庸さ、想像的良心の組合わさった統一性が必要である。もっと言えば、大人と子供を併せ持つような精神の跳躍力、構想力、翻訳力が必要である。

 

・Biggieについて

(明らかな特徴について)
死者の言葉である
死者の語りでもある
キリスト教原罪思想が反映されている
自殺による死を選んだ物の語りである
ニヒリズムの極限である
厭世主義である
快楽主義である
生まれる前の記憶を引き継ぐものである
生まれるその瞬間からの記憶を持つ
赤ん坊のころから死に至るその直前までの一生についての壮大な一代記である
Skitの多用
曲同士の繋がりの重視
Big Daddy Kaneの影響
産みの父親への嫌悪
警察権力への抵抗
Flow, Word-play, Rhymeの重視
アルバム全体の統一性を重視
共同制作者、Puff Daddyの指示、編集
西海岸のGangsta Rapへの憧れ
South、ジョージア州への眼差し


(明らかでない特徴について)
Blaxploitation映画の影響
Mafia映画の影響
Hood映画の影響
任侠映画「仁義の墓場」との近似
jazzの即興的な演出の影響
保守思想の影響
アメリカンドリームの影響
戯曲の影響
心理小説の影響
私小説との近似
告白文学との近似
告発文学、James Baldwinとの近似
仏教思想の影響
涅槃の境地
輪廻転生からの解脱としての自殺
ループからの離脱
諦観
もはやあらゆる権力に対する抵抗を止めてしまった故の自殺
彼の自殺について様々な憶測が飛び交っている。それは黒人にとって最も望まれる状態なのではないか。つまり自殺とは思考の自殺であり、つまり白人に対しての人間宣言なのではないか?
仏教的な悟りの感覚との近似
快楽さえ放棄したいという欲望に取り付かれた末の自殺⇔Tupacが痛みを堪えるために神の慈悲を乞い願うのとは対照的。ある時期のTupacの神様は、新訳の神であり、イエスの愛の慈悲深き神であり、許しの神である。それから慈悲を無くしていき、ついにマキャベリと改名し、自らの内側に力強さを求めるようになる。懲罰、断罪、徹底、といった旧約聖書の怒りをもって立ち向かう力強さを持つに至る。

 

・分かるとは幻滅することである
 分からないとは夢幻を追いかけることである

 

・幻滅とは直感である
 夢幻とは不可思議な幻想である

 

・直感は英語でrealizeである
 realizeの訳語は「悟り」「実現」である

 

・幻想は英語でillusionである
 不可思議は英語でwonderである
 illusionは悪魔、wonderは神の訳語にもなる


・幻想の訳語はdisillusionであり、意味はdisapointmentである。つまり失望である。


・失望と絶望は異なる。前者は、また別の幻想を追いかけることができるが、後者はもはや何の幻想も追いかけることが出来ず、途方に暮れている状態だからである。


・分ることは必ずしも、善い事ではない。それは美しいことである。

美しいことには、絶えず、清潔さと簡潔さと静寂さがある。祈りの姿にも似ている。

分からないことは、必ずしも悪いことではない。それは生きるための道徳心を養うこともある。己の限界を知ることを以て、世間に立ち向かう覚悟が出来上がるからである。


・物は考えようによっていかようにも姿形を変える。自分の都合の良いように解釈しようとすれば、世界はその要求に応えるし、自分が醜く、価値のない人間であると信じれば信じるだけ、世界はその要求に応える。


・諦めると明らかになるは同じ意味。

 

・遂にすべてが明白になったとき、それはその行為を諦めるときでもある。

 

・ Biggie Smallsの悩みと己の悩みを重ね合わせてみる試み

 

[したくないこと]

・食べ過ぎたり引きこもりすぎて、世の中に出れなくなること。恥にまみれた生き方。

・罪悪感に苛まれて、したいことじゃないことばかりする事。ご免なさいびかり言うこと。自分を虐めすぎて、立ち直れなくなること。

・自殺すること。死ぬことは怖くない。でも自分の意思で死を選ぶことは恐ろしい。

・なにも達成しないまま、老いて、独りぼっちになること。貧しい老いは辛い。

・ブクブク太って皆から心配され、疎遠になること。醜い自分を嫌いになること。心まで醜く感じてしまうこと。

・一生この病が治らなくて、遂に発狂してしまうこと。

・誰からも見捨てられて、イデオロギーや神様にすがって、偏った考え方に染まった自分を甘やかすようになること。

・家族を失ったり、友達を無くしたり、好きなことに熱中できなくなること。

・あなたは世捨て人に為りたいわけではないんですね。

・あなたは寂しがり屋さんです。自分に肯定的な判断を十分にしてあげていません。不満たらたらです。

・あなたは完璧主義者です。

 

 ・Tupacの研究

tupac lay his voice over his own multiple times.
声の階層 重なり 重層
一人称から三人称への飛躍
代表的黒人の声としての役割
どこを単数形一人称で発音しているのか
どこを複数形一人称で発音しているのか
全てではない
アクセントである
共通項はあるのか
Spanish系の女性ボーカルの必要性?
咳の音を入れる マリファナのやり過ぎ
描写 ビギーの影響か?

 

・Biggie:キャラ、自由闊達、死を遊ぶ、解脱、涅槃、悟り、自己内世界という解釈学的循環を無限に否定する、死神、喪服の黒

・Tupac:キャラクター、 知行一致、苦しみとの闘い、自己の救済、死後の復活、永遠の生命、白人男性社会に対する反抗心を決して失わない、アナキスト、反抗の黒い肌