Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

論文判定の流儀

・前提。共有された方法論に沿った論文の評価は人物の善悪判断を含まない。

・拒否。いかなる論文の出来不出来は、著者の人格判断を示唆する。

・批判。当該の論文の出来不出来に関わる方法論の知識を持っているかどうかの判断について、論文を精査する者は論文作成者に対して必ず聞く必要がある。仮にあらかじめ作成者に方法論を伝えないままにしておいた挙句、作成者も適した方法論を知らないまま、全く悪意なく己の良心だけに沿って作成し提出した場合、判断は極端に容易になる。即ち、判断するための視点が明確になった。論文の帰結部分に至るまでの論理的な縦糸の解きほぐしの義務が作成者に追加されず、またその出来不出来は評定に一切反映されないことが両者の間で確かめられ、精査判定する者だけにその義務と権利が追加的に発生するということだ。判断する者は、最後の帰結部分だけを判断し、仮にその帰結が正しいと判断されれば、方法論に沿っているかどうかについては評定者側によって再構成される。一方、その適した方法を作成者が十分に認識していると判定された場合、判断の材料が二分される。まずその方法論をどれくらい正しく用いているかについての判断と、結語の論理的な整合性の判断との二つである。つまり判断するための明確な指標ができる。方法論の優劣と論理的整合性の優劣である。前者の優劣をA、A'と置き、後者をB、B'とすれば、2要素の組み合わせにより、4通りの指標が出来る。AB>A'B>AB'>A'B'もしくはAB>AB'>A'B>A'B'である。どちらを選ぶかは評定者にまずその裁量権が与えられるはずである。

止揚。私の考えを述べれば、論文の出来不出来に関わる方法論の知識の共有が果たして現在可能でないと考えるため、結語が面白ければそれだけですでに価値を有していると判断したい。同時に、方法論に出来るだけ接近しよう、誠実な議論をしようとする人間に好意をよせる。これは義理を重んじるということである。まとめるとつまり、AB>B>A'B>A>AB'>A'B'の順位付けが行われる。