Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

父との和解も諦めた!

 父は私が生理的嫌悪感を最も抱く輩であると同時に、私の健康と将来の幸福を、父本人の健康と幸福を取り換えてでも与えたいと願う、心優しい人物である。父が私を愛している事はもはや疑うべくもないが、彼の振る舞いや言動に於いては、父は私を恐れているように感じる。極端に息子を恐れるあまり、顔の表情と口から出る言葉に乖離が生じる。笑いながら冷酷なことを言ったり、鬼の形相で優し気なことを言ったりする。私は、父の愛情を信じているが、父の行為に於ける本心「らしきもの」の存在も信じざるを得ない。

 父は秩序が大好きであり、一片の狂いも許さない、妥協心を知らない人間である。それは家事に於いても、仕事に於いても、子育てに於いてもそうである。自分に課された仕事は、たとえ己の身体や心がズタズタに引き裂かれるような苦しみを伴うとしても、仕事である以上取り組むほかない。つまり、父には選択肢という概念が無い。やるか、やられるか。それは生きるか、死ぬか、の絶対的な葛藤を日頃から実践しているということだ。

 父の実家は浄土真宗本願寺派で、父の母(私の祖母)は大変熱心な信者であった。父が高校を卒業する間近、父の父(私の祖父)が病気のために亡くなって、父は卒業と同時にすぐ会社員として働くことを余儀なくされた。父は元々勉強のできるタイプではなかったようだが、独立心だけは人一倍強く、大学生活に過剰な期待を抱いていたようだ。しかし、父親の死という絶対的な現実と、大学進学のための資金が全て入院費と葬儀代に充てられてしまった事に対する母親(ならびに病院、宗教全般)への怒りと憎しみ、その為に己の将来が否応なく決定されてしまったことへの無常観、そうした情念の混合が、高校卒業間近に父に到来したそうである。

 この話は、母親から聞いたものを私が再構成して書いているので、恐らく真実からは程遠い。またこの種の悲しい過去を父は息子である私に決して話そうとしない。私は母親に根掘り葉掘り聞くのだが、母親もあまり熱心に語ってはくれない。この話は、敗戦後に帰還した父親たちに、戦場で一体何が起こったのかについて聞くようなものである。私には想像することしか出来ない。片親であること。大学進学を諦めざるを得ず、地元の工場で働くことを強いられること、己の人生を己の力で切り拓くことの出来ない無力感、情けなさ、そしてその時に立ち現れる母親の熱心な祈りの姿、父親が元気に身を粉にして働く姿、これらすべては一切消えてなくなってしまうのだという諸行無常の感覚的理解。私はこれだけ考えて、父の行いを許し、和解することも諦めることが出来た。

 可哀そうに。この思いが私を前進させる。蔑みでも妬みでもない。蔑みや妬みは己と相手を比較して生じる感情だが、「可哀そうに」とは、向こうからこちらに到来して来る情感である。こちらが勝手に「あの人は可哀そうな人間だ」と決めつけて判断するのではなく、向こうが「俺の過去を知って、どうか憐れんで欲しい」と判断を迫られるのでもない。これは、私と父の間に自然と生じる感情である。だから、この「可哀そうに」という現象が起きるとすれば、私だけでなく父にも起こっている「はず」である。

 日中どうしても身体が動かず、リヴィングのソファで横になっている私に、仕事で疲れ、無性に苛立っている父親が帰ってくる。私は、父の存在をヒシヒシと感じながら、まだソファに横になって目を半開きにしたまま様子を伺っている。父は私が寝ているのか起きているのか判断できないため、更に苛立ちが増し、私の気分を逆撫でするが如くドシドシ音を立てて踏み鳴らしながら歩き、つけっぱなしになっている全ての電灯を切って回り(父はドケチである)、近所のスーパーで買ってきた安物のガラクタの様な食べ物を冷蔵庫に放り込み(父は食べ物に全く拘らない)、シャワーを浴びに風呂に入ったかと思えば、5分もせずに出てくる。(「カラスの行水」とはよくいった物だ)私が寝ている(振りをしている)ソファの隣が父の書斎であるので、父はリヴィングを通るたびに、私の寝顔を見ているはずである。私は父が何かぶつぶつ文句を言いながら歩くのを聞いた。「わけらからん」と小さく呟いたのが聞こえた。顔ははっきり見えないが、恐らく猛烈に怒っている。私に向けた言葉なのか、会社の社員たちに向けた言葉なのか、己の人生に向けた言葉なのか、私には判然としない。しかし、誰か特定の人間か事象に対して怒りをぶつけている事はハッキリ分かる。父は絶えず怒り、絶え間なく体を動かし続け、そして死んだように眠る。その繰り返しである。

 私は毎日父の帰宅の時には、内心戦々恐々としている。どうすればいいのか分からず、戸惑っている。今ここで目が覚めて起きた「振り」をして、「おかえりなさい」と言うべきなのか。それとも、父の怒りが収まるまで、いやそれは一度でも収まった事はないのだから、つまり父の臨終のその日まで、それは必ず訪れるのだからその日まではずっと、私は父の前では「善き息子」として振舞い続けるべきなのか。父は帰宅した後、「あの」ストレス発散のための迷惑千万の儀式を終えて、独り書斎に閉じこもって(ちなみに父は家族と食卓を囲まないので母がお盆に乗せて書斎に食事を運ぶのである。)次の朝の出社まで出て来ることは無い。父は毎朝5時半に起きて、そのまま家を出る。5時半起床、出社→夕方もしくは夜帰宅→あの儀式→書斎に閉じこもる→翌朝5時半起床...このサイクルを30年も繰り返している。だから父がリヴィングに居る間だけ、私は自室に閉じこもって嵐が過ぎ去るのを待てばよいのだ。そう思ってこの三ヶ月間一緒に暮らしてきた。だが、今日、気づいた。私は、父との和解を未だに望んでいる。それは決して叶うことの無い幻想にすぎない。だから、私はその時に、「可哀そうに」と呟けた。もう父との和解を諦めることが出来たのだ。父は父の人生を、私は私の人生を。別々の人生を二人三脚で歩むことは出来ない。彼と私の歩幅が極端に違うからだ。彼はせっかち、私はのんびり行きたい。だからもう互いのくるぶしを固く結びつける愛情や憎しみや期待や幻滅を乗り越えて、「可哀そうに」と呟こうではないか。一緒の人間だったら良かったのにね、でも違うんだ、空しいね、さよならと互いに微笑しながら目に涙を溜めながら、別れていけばいいのだ。