Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

荒川の岸辺で考えたこと

 健康的で、快活で、多趣味で、友達も多くて、信頼されて、会社でも有能で、正社員で、家族との関係も良好で、モデルみたいな体型で、いつでもSNSに投稿できるような肌艶を維持していて、ストレスフリーな暮しを送っている・・・俺はそんな人間にはなりたくない!例えそうじゃない生活を送っていても、堂々としていたい。さらに、人から羨望される様な豪奢な人生を送っていたとしても、サラっと「こんな暮し、どうでもいい」と言ってのけたい。それは、果たして可能であるか。可能である。そう言い切りたい。

 作り物みたいな人間になりたくない。と言って、ありのままでも居たくない。何か、最近の自分は世間からどんどんズレて行っているようだ。何をしても、何もしなくても、いつも腹の底で不快感が残る。なぜだろう。自分でもよく分からない。どうしたいのか、結局分からず仕舞いなのだ。素敵な人間を見れば、自分が素敵でないことを見せつけられているようで不快だし、素敵でない人間を見れば、自分が幾分マシなような気が一瞬するものの、その次の瞬間には、否、自分はまだ他人と比較して幸せごっこを続けているのか、と幻滅する。

 どうでもいい。どうでもいいと、言い切りたい。そして、素敵にもなれなければ、幸せにもなれず、ゆっくり死の淵までを独りで歩んでゆくだけだと言い聞かせたい。素敵でなくてもよい。素敵でもよい。生きる価値を見出してもよい。見出さなくてもよい。どちらも、等しく、平等に、半々で無価値である。そう言い聞かせたい。だって、そうしないと、自分の中の誰かさんがとんでもなく傷つくじゃない。素敵でない自分を殺さないといけない。もしくは素敵な自分を殺さないといけない。でも、自分は一人しかいない。心の中でいくら幻想を作ったところで、自分は一人しかいない。そこが一番大事じゃないんだろうか。

 まだ、迷っている。どう生きるべきか。しかし、齢だけは取っていく。時間の流れは私の側を流れ続けている。それは、仮に今日散歩しなかったとしても、近所の荒川は僕の選択に関わらず、絶えず、川上から川下へ、東京湾へ流れ続けていくのと同じだ。水や川や時間は私にいろいろな事を教えてくれる。それは、お前も水や川や時間と全く同様の空間に居るという事、つまり、死に一歩一歩近づいている。この認識は、「今日は死ぬのにいい日だ」と己に発破を掛けるようなものだ。しかし、現実なんだから仕方ない。受け入れよう。

 昨日までの自分に邂逅するのが今日の夢だ。明日の自分には決して会えない。