Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

様式美の発見

 唐突に思うことが在ったので書き散らしてみたい。

 あらゆる動作にはそれに相応しい様式がある筈だ。何となくそう思った。朝起きて一番にする最も相応しい動作は、両手両足を伸びすることだろう。次に洗面台の前に立って、口の中を水でゆすぐ。髪をブラッシングする。パジャマを洗濯機に入れる。キッチンに行って珈琲を二杯分淹れる。煙草を一本か二本程吸う。服を着替える前に体重を量り、アプリに入力する。朝御飯を作る。抗うつ薬を飲む。サプリメントを飲む。整腸剤を飲む。食事もアプリに入力する。お薬手帳に記入する。血圧と体温を測る。これは朝と夕方やる。

 では物を書いたり、日記を書いたり、詩作や翻訳、論文を書くときの相応しい姿勢とは何だろう。物を書いているときに最も認識から外さないといけない事は、時間と空間であると思う。今日が何月何日の何曜日か。何時何分で、今自分がどこに座っているのか、東京都のどの辺りに位置していて、このマンションの何階の何号室に居るのか、そんなことは頭から離れるべきである。目の前の文章に認識を集中させたいから、周囲の音や温度や湿度、椅子の座り心地なども快適にしたい。そういう引き籠り状態は、本来的な生活態度では無い為、身体の変調を感じにくくなってしまう。天気に興味が無くなったり、時事問題に関心を示さなくなる。衣服や食事や寝具にもこだわらなくなる。交際費がもったいなくて、本代に消えることもしばしばで、人目を憚るようになる。この状態が半年や一年と長期化すると、『罪と罰』のラスコーリニコフのような錯乱状態に近い、過度な思い込みや妄想、幻想に囚われてしまいかねない。これを防ぐためには、敢えて「不快」な状況を作り出すことだ。喫茶店でしか勉強しないと決めたり、近所の図書館を練り歩いたり、家で勉強するときも周囲の雑音が適度に入るように、適当なインストや雑踏の音を流したりと工夫は出来る。

 こうした定式化した一連の動作がスムーズに行われると何かしらの快感が味わえる。しかし、この快感も空虚さの裏返しに過ぎない。真の美しさとは、同じ動作を日々続けることではない筈だ。発見し反省する事がなければ、いつか壊れてしまう。どれだけ改良しても、壊れるときは壊れるのだが、日常が壊れてしまうまで日々続ける。習慣と執着は意を異にする。前者は修身であって、後者は遊びだ。どちらも大切な日常的要素である。様式美とは、つまるところバランスなのだ。

  結局、俺は同じことしか話してないし、書いてない。思いつきをブログのネタにするのも飽きてきた。そろそろ建設的な話題を見つけようと思う。