Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

無頼漢のダイエット論

 今朝、どうも調子がおかしいと思い体重を計ってみたら、先週に比べて+3キロもあった。道理で体が重い訳だ。頭もあまり働かない。3日前に足を挫いてから日課の散歩が出来なくなって、ジムもかなり休んでいるのにも関わらず、バイトの疲れからか過食気味になっていた所為であろう。今日から一週間は、ファウスティングしようかなと思う次第だ。

 体調が悪いとなと思ったら、まずするのは、血圧測定と体温測定と体重測定だ。そのあとお風呂に入って体をほぐしてから、嘗て習っていた空手の正拳突きやら前蹴りやらをしたり、軟式野球を趣味にしているのでそのバットを持って近所の公園に往き、100本素振りをやったり、無酸素運動をやる。じわっと汗ばむくらいで止めて、もう一度シャワーを浴びてみると大分体調は戻る。後は、足の付け根や股関節、肩甲骨のあたりを揉んだり、ふくらはぎや二の腕をマッサージしたりすれば翌朝の腫れも抑えられる。

 私の健康管理は、そういう意味でかなり原始的だと言える。薬を飲んだり、器具を使ったり、施設を利用したりということをしないのは、お金がもったいないからとう財布の貧しさというよりも、己の健康を己だけの力で制御する快感を求めている所が大きいように思う。もしかしたらボディ・ビルディングの才能があるのかもしれない。自縄自縛の快楽というべきか。自縄自縛の快楽とは、私小説家の西村賢太氏の言葉だ。己の過去に現在の己を縛り続けるということ。翻ってボディ・ビルディングとは、己の未来に現在の己を縛り続けることだ。どちらもかなりストイックな、無頼漢の暮しであるに違いない。

 無頼漢とは、ならず者やゴロツキといったイメージがあるが、文字通り意味を解釈すれば、誰にも世話にならない自主独立した人間、というくらいの意味だろう。手前の始末は手前でつける、と喝破するような、ちゃきちゃきな感じがするので、私は好きな言葉だ。といっても、私自身がかなりフェミニンな性格で、小動物のようにオドオドしたり、いい子ぶりっ子する時もままにあるので、無頼漢とは程遠い人間である。私が最も男らしく振舞えるのは、独りになった時だけだ。言葉にもせず、態度にも表さず、ただ独り頭の中で空想している時くらいだろう。そうやって頭の中で対決したり、罵倒したり、コロシタリしながら、紫煙をくぐらせる時が恐らく私の人格の中で、最も野蛮な瞬間だ。

 どうでもいい話である。要するに、健康管理は自分でするのも吉、ジムのトレーナーに任すも吉、というそれだけの話である。それだけの話から自分語りを始めてしまうのだから、俺という人間も始末に悪い。頼まれても無いのに自分語りを始めるのは、酒場の親父と一緒だ。このブログは、酒場の親父の愚痴ブログにはしたくない。もっと清潔で、落ち着いた雰囲気を作りたいのだ。下世話な話など、俺がしなくたって世の中に幾らでも転がっているじゃないか。