Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

食欲を減らす工夫

  最近仏教者としての生活に憧れを持っている。何かとても清潔な感じがするからだ。仏教者もしくは仏教徒の暮らしとは、一言で表すならば、晴耕雨読である。晴れた日には外に出て畑を耕し、雨の日は屋内で書物に親しむ。そんな生活は本当に素晴らしいなあと思う。嘗て、私の通っていた個人塾の先生は、まさにこれを実践していた。昼間は畑に出てブドウを作り、夜は地元の子どもたちを教える。私塾を立ち上げたい気持ちも、先生のような生活に憧れるからだろう。ちなみにに先生はプロテスタント系のキリスト者であった。

  何の因果か、私の実家は、父方が浄土真宗本願寺派で、母方が天理教神道であった。両親は根っからの宗教嫌いで、家には神棚もなければ仏壇もない。私が生まれる前に、寺や教団から色々とお金を取られたりして痛い目に遭ったようで、無宗教が一番いいという結論に至った様である。私はそこまで言い切る自信は無いが、仏教者やキリスト者の暮らしというのは思想の実践としては至極穏やかで、無欲で、他者に施しを無償で与えるようなものなのだろうと推測するくらいである。

  今日の話題は、食欲についてである。食欲とは何か。生まれつき食欲が全く無い人間は恐らく居ないだろう。食が細い人や、食事に関心の少ない人は居るだろうけれども、何も食べたくないと心に決める人にはやはりどこか心の問題があるようである。私の問題は、食べ過ぎることで、食欲はどんな時でも旺盛だった。それは鬱状態が酷くなればなるほど、菓子やジュースやインスタント、カップ麺、冷凍食品、コンビニ弁当、出前、外食などに完全に依存するくらい食べたくなってしまっていた。肉や魚や野菜やキノコや豆などの栄養価の高い食べ物が欲しいとは思わなかった。お腹を直ぐに満たせればそれで良かった。炭水化物や糖類や塩分の高い食べ物、飽和脂肪酸を含む食べ物などが無性に欲しくなった。今考えれば、大変痛々しい。身体をケアしたい一方で、バランスのとれた食事が出来ないほど弱っていたのである。

  食欲と性欲は我欲の根源であるのだろう。仮にこの二つの欲を完全に断つことが出来れば、涅槃の境地に少しばかり近づけるのかも知れない。しかしなかなか難しい。健康のために絶食したりオナ禁したりするのは、やはり何処か間違っている様に思う。栄養やリビドーが多すぎる人はたまに止めればよいだけの話で、休肝日の様なものである。要するに、健康になりたいから、これから一週間何も食べず、性欲に惑わされまいと思っても、結局一週間後にはまた食べたりなんなりするのであるから、それは根本的に欲を断つという実践ではない。

  欲は絶つのは難しい。まずこの認識から始めてみる。そうすれば、ではどんな工夫が出来るのかについて考えが及ぶ。食欲を減らすにはどうすればいいか。血糖値を上げない工夫や、塩分を控える工夫、仕事のご褒美として甘いものを食べるようにするなど、何でも出来そうだ。毎日の食事から摂取する栄養価のグラフをつけることも工夫の一つだろう。水を多く摂ったり、運動を心掛けたり、体重を毎日量ったり、ジムに通ったり。体重を減らすのではない。食欲を減らす工夫を求める。可能なら運動欲を増やす工夫も求めた方が効率的である。