Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

母の直観

 母とは偉大なものだとつくづく思う。無論、私の母親が偉大な人間であると吹聴する意図は毛頭ない。母親になる事を選び、子どもを授かり、子どもを出産し、子どもを育て上げ、一人前の大人に成長するまで面倒を見るという事の偉大さをつくづく実感したというだけだ。今まで尊敬する人は父親だったのだが、最近になって絶対的王者だった父親は遂に二位降格で、その代りに母親が女王となった。更に、この一位と二位の絶対値的な距離は、二度と覆らない位果てしなく大きい。それくらい絶対的女王として母親という存在が、私の尊敬という名のピラミッドの頂点に君臨している。つまり、父子関係よりも母子関係の方を、私は重視したい。「腹を痛めて産んだ子」という表現があるが、この痛みは父親は決して経験できない。一説によれば、男のような軟弱な生き物には女の出産の痛みには耐えられないそうだ。これは、もし自分の持つ「穴」から、自分の子どもが産まれたとすれば、と想像してみるより他ない。それにしても子どもを授かるとは偉大な事象である。別の生き物が自分のお腹の中に十月十日も居座って、自分の食べた食べ物の栄養を共有し、血を共有するのだ。大きくなれば、時に腹の内側から蹴られることもあるという。腹の「内側」から蹴られるというのは、私が男である以上、決して経験できない。考えてもみれば、母親は子どもがこの世に誕生するずっと前から、既にお腹の中で子どもを育ててきたのだ。私は今年で28歳になるのだが、母親からすれば私との暮しは、28歳と十月十日(約310日間)を加算した日数に為るはずである。こんな当たり前の事実を気づくにあたって、やはり母親とは偉大である、と思った次第である。

 母親とよく会話する。特に話したいことがある訳でもないのだが、会話の時間を取るようにしている。これは東京の実家に一緒に暮らすようになってから、特にそうだ。今朝の母との会話の中で、ハタと気付いたことがあったので書いておきたい。母上曰く、「子供を憎む親は居ない。親だから。」はへー。そうなのか。「他人の家族と自分の家を比べてはいけない。違うから。」ほへー。なるほど。父の怒りっぽい性格について「怒りと憎しみは違う。憎しみは殺したいほどの恨みだけど、怒りは一時の気持ちでしょ」そうだなあ。そうに違いない!最後に話題が今入院中の祖父母のことになった時一言。「順番だから仕方ない。」うーん。やはり母は偉大であった。