Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

挨拶について

 ひょんなことから、今日の話題が決まった。挨拶についてである。私は、実のところ挨拶というのは中々始末に悪いもんだと思っている節があって、特に話したい訳でもない。しかし決まったことに対して文句を言う訳にも行かないので、指に任せて話してみることにする。
 挨拶しましょう、と学校の先生は言う。言うだけあって、学校の先生はやたらと挨拶しているようだ。あの分だと、道ですれ違う人間全員には勿論のこと、犬や猫、餌を啄んでいる雀や鳩、かあかあ鳴いているカラスに至るまで道を這うあらゆる生き物全部に挨拶しているんだろう。電柱に挨拶しているおじいさんをたまに見かけるが、ボケる前は教員だったのかもしれない。教員の中には、しかしながら、全然生徒に挨拶しない人もいる。教頭先生や校長先生である。彼ら彼女らは、挨拶されて当然の立場の人間であり、始業式や卒業式で、その学校の全生徒からお辞儀される唯一の存在である。何の役職にも就いていないペイペイの新任教員まで、校長先生の前ではやたらと揉み手をして深々とお辞儀する。見っともない事この上ない。だが彼らを無暗に否定してはいけない。親や先生の前だけ「いい子」になる子供が居るのと同様に、教頭先生や校長先生(あと保護者やPTA会長や教育委員会のお偉いさん)の前だけ「いい先生」になる先生が居るのは当然であるからである。
 さて、校長先生がお辞儀をするのは誰だろう。文部科学省の役人である。では文部科学大臣がお辞儀するのは誰だろう。内閣総理大臣である。内閣総理大臣がお辞儀するのは誰だろう。天皇皇后両陛下である。では天皇皇后両陛下がお辞儀をなさるのはいつ・どこでだろう。それは、日本の国旗の前にお立ちになられる時だ。ちょうど二日前が終戦の日であったが、天皇皇后両陛下は三百二十万の御霊の前で、厳かに、立派に、美しく、お辞儀をされていた。だから、もしあなたが親や先生に普段からお辞儀をするのに抵抗が無いのなら、神社や仏閣に参る際にも自然とお辞儀が出来る筈である。それについては何も苦しみが無く、強制感も無く、後ろめたさも恥じらいも無く、出来る筈である。
 話を戻そう。挨拶についてだ。聞くところによれば、犬も挨拶するそうだ。しかし、だから人間も挨拶しましょう、とは論理的につながらない。なぜならその議論に於いては、犬や猫は人間よりも下等である、という前提了解を承諾せねばならないからである。わたしは、人間よりも犬の方がずっと穏やかで、仁義の道を心得ていて、立派であると思うし、猫の方が人間よりもずっと優しく、美しく、勇気があると思う。だから、犬様猫様が挨拶するのを習慣になさっているのを、下等動物である人間どもは見倣うべきである、という論理なら十分に納得する。
 挨拶とは本来、自然なものであるだろうと思う。挨拶するなと云われても、したくなるのが人間の道理だ。例えば学校で、今日一日誰とも挨拶するな、目も合わせず、お辞儀もするなと命令してみたら面白いだろう。きっと次の日からみんな元気に挨拶するに違いない。それくらい、挨拶は、人間の本来的な欲求の一つだろうと思う。