Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

予見力の付け方

 朝起きて先ずすることは時計を確認することだ。午前中に仕事が無い日は、大抵八時過ぎに起きる。顔を洗って、洗濯物をして、煙草を吸って、珈琲を淹れて、ブログを立ち上げたらもう十時半だ。朝は時間が経つのが早い。寝ぼけているからだろう。最近はあまり調子がよくにゃい。計画していた論文も進まない。

 計画通りに進まないと自分に腹が立つ。しかし自分に怒るとは、空しい。怒っている自分とは過去の自分である。過去に計画を立てた自分が、その計画を実行できない現在の自分に対して怒っているのである。矛盾しているが、そういう時は、嘗て定めた自分のモットーを思い出す。持つな、求めるな、気にするな。そうだ。気にし過ぎてはならない。計画など過去の遺物に過ぎない。今日の状態を過去の自分は予想できなかった。それだけである。

 予想する力、予見力を如何にして身につけるか。それはまず日記や手帳を読み返してみることから始まる。現在の自分が過去の自分を振り返るのではない。過去の自分の立場から現在の自分を予見しようとするのだ。だから、予見力とはリハーサルを繰返すことで身に着く。計画を立てた頃、自分が何を書いていたのか振り返ってみたい。

 

その場その場でするべき行いを、批判して判断し続ける。何十年も。その先にふとした形で現れるのが、その人のスタイル。直接現れるのが、話し方、書き方でしょう。そもそもスタイルとは文体のことです。なので、言葉の運用に気を使うことは、文学的素養を身に着けることにおいても必要十分条件です。いや、もっと身近な卑近な例を挙げれば、自分に課そうとしている習慣を一つやり続ける、朝起きて辞書を一ページ読む、散歩をするなど、なんでもいい一つだけ続けてみる。そんなところから、身体のスタイル、精神のスタイル、言葉のスタイル、生活のスタイルが決定されるのだと、今になってわかりました。(2017年12月17日「大袈裟な計画と実行不可能性」より

 

 8ヶ月前の自分が書いた筈の文章だ。「スタイル」とは様式であり、それは一つの行いの集積であるという事を発見した喜びが書かれてある。12月の半ばとは、仕事を辞めるかどうかで悩んでいた時期だ。大切な、大きな決断である。この決断は己の生活だけの問題ではない。父親、母親、弟、義理の妹、勤め先の学校関係者、二三の友人、二三の恩師、故郷の親戚、そして担当する三八人の生徒と七六人の父母、保護者。そうした人間関係の拡がりの中に自己を規定するのが保守思想の様式「スタイル」だと、今になれば思う。私個人の判断や選択だけが問題なのではない。毎日、散歩をしようがすまいが、辞書を毎日決まった量読もうが読むまいが、言葉遣いを丁寧にしようがすまいが、その行為の善悪の判定や意味付けは私個人だけでは到底不可能である。空しくなるばかりで、毎日はやらないだろう。

 この後、私は退職を申し出る。そして、東京に一日だけ帰って、両親と大喧嘩して、翌朝愛知に帰る。修論に取り組むものの、体の不調は治らず、修論は出せず仕舞いとなる。辞書を読む心の余裕はなかったし、散歩はなぜか続けていたがそれで健康になることはなかった。(薬を飲むのが手っ取り早いことを、その時の私は知らなかったのだ)言葉遣い云々の話は、出来る限り気持ちを抑えようと努力をしたものの、結果として父との確執を作ることになってしまった。父は私の言葉遣いなど全然気にしていなかったのだ。病気のこともあまり心配していなかった。就職のことだけ、心配していた。

 必死に目の前の課題に取り組んでいるような恰好をしながら、実際、論文に取り組んだのは一月過ぎてからだった。しかしながら本当にやるべきだったのは、セカンドオピニオン(主治医から一時的に離れて、第二の医師を見つけ、彼彼女からの診断を再度受け、説明に納得した上で、治療の意義を確認すること)だった。インフォームド・コンセントを怠っていた。これは私だけの責任ではない。医者の責任である。私の健康を「本当に」心配する人間の責任である。なぜなら、私はその時危機的状況に追いやられていたのだった。必要以上に自分を責め、あまりにも主観的になっていた。病人の世話をするのは、心配する両親や看護師や医者の責任である。

 あの頃の私はとても健気である。そして純粋である。真面目であり、素直であり、真剣である。それは人間として立派であった証である。しかし、立派なだけでは生きていけない。武士は食わねど高楊枝、と言う。しかし実際、もうこの世に武士階級は無い。もっと殺伐とした「市民」しか居ない。市民は食わねば野垂れ死に。この厳しい現実を世間知らずな私は知らなかった。注意したいのは、世間知らずとは決してその人間が馬鹿であることを意味しない。その人間の認識の範囲が狭いことは、その人間以外の人間が指摘するより他ない。私は自己を責めていた。だから本を貪り、金も無いのに買いまくり、読む元気もないのに積読した。だから、私はあの時あれが精一杯の行いだった。だから、私はあの時立派だった。

 繰り返しになってきた。立派な人間ほど、狭量な思想に傾き、苦しむ。私は今、あまり苦しんでいない。それは思想にあまり関心を抱かないようになったからだ。嘗ての自分に比べて、全然立派でなくなった。否、正確に言えば、立派であるとは善い事なのかを自問するようになった。判断を中止し、決められた行為を儀式的に行うようになった。苦しみが減ると立派でなくなる。苦しみが増すと立派になる。これこそ、どんな教科書にも書かれていない、私だけのテーゼであるだろう。

 予見力とは、教科書に書いていないテーゼの集積に基づいた傾向性に基づいて判断することである。日記をつけること。これは予見力を身につけるうえで欠かせない行為のようだ。