Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

シフトのミスから学んだこと

 驚いた。バイトの時間が間違っていて、一時間後に来いという事だった。塾長、間違えんなよ、やれやれと流してしまえばいいのだが、何か大切な教訓がありそうだと感じて、咄嗟にブログを立ち上げた。

 私は今朝から頭がぼーっとして、正直なところ、バイトに全然行きたくなかった。シフトの組み方も適当で、二時間働いて二時間休んで一時間働くという、好いように使われていることにも不満があった。「行きたくない」と思った。そして出勤時間のぎりぎりまで煙草を吸って、外を眺めていた。ここまでは私の生活によく出て来る風景だ。(よくあっては困るが)しかし、その時ふと、「バイトに行きたい」と思い込もうと決意した。全く何の根拠もなかった。思い込むことで、身体を動かそうと奮い立たせた。次の瞬間、「嫌、やっぱり行きたくない」と思った。よし、この迷っている頭ごと家に置いて行こうと思った。塾には身体だけ持っていけばいい。英語で言った方が分かりやすいか。I tried only to take my body to my workplace and leave my doubtful thoughts at home.

 そして、塾に行ったら、一時間後に来なさい、だ。これは本当に大切な学びである。真剣な振る舞い、葛藤、決意、勇気ある選択、善意、責任感。こうした「言葉遊び」の全てが、無為であったことが簡単に証明されたのだ。なぜなら、私は前提を疑っていなかったのだ。本当に今からバイトはあるのか?と。もしバイトがあるのなら、行く行かないの選択の余地があるが、もしバイトが無いとしたら、選ぶ事すら出来ないのだ。選ぶことが出来ない事象に対して、「言葉遊び」に興じるのは、滑稽である。そう。まさに先ほどの私は滑稽であった。真剣であればあるほどに、滑稽の度合いが増して行った。己の行為の正当性は、いつも、外部との関わりの間に生まれるのだ。すべて自分で解決しようと思うから苦しいのだ。バイトに行きたくない、と思えば、バイト先に電話すればいいのだ。そして、今日のシフトを確認させてもらえば、私が意味のない悩みを悩んでいることが分ったのに。

 今、滑稽な自分に気付いて、なぜかバイトに喜んで行きたいと思っている。自分という生き物はつくづく単細胞である。嬉しいことがあれば喜ぶ。悲しい事や嫌な事があれば悲しむ。苦しみが無ければ楽を選ぶ。無理矢理仕事を押し付けられれば怒る。私の情感の原因を突き詰めれば、大抵、些細な事である身体が少ししんどい。論文が提出出来るか不安だ。時間に遅れるのが少し怖い。上手く授業が出来るか不安で怖い。食べたら太りそうで怖い。そんな、「少し」の不安や恐れが、ここ数年間は、結果的に危機的な状態にまで陥ってしまうのだ。私は、なんてまあ、単純な人間なんだ!

 私の単純さ。これは使い道があるのかもしれない。おっと、もうすぐバイトの時間だ。果たして、バイトは本当に在るのか?愉しみである。