Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

始原の学問・遊びの学問・失敗の学問

 ある事について知っているのは、その事以外について知らないという事だ。知ろうとすればするほど、自分の認識の限界を知る。自己の認識や実存を超越しようと試みるのが、哲学の始まりであり、儒教の始まりであり、仏教の始まりである。一纏めにして、「始原の学問」として置きたい。

 この始原の学問から発達したものが科学である。文化や文明が生まれ、戦争や飢餓や貧困や差別が生まれ、その対義語として、平和や豊かな暮らしや平等や自由や多様性の統一などの概念が生まれた。サイコロ賭博から確率論が生まれ、人を個体としてカウントする人口論から社会学が生まれ、国を家と見做す物語(神話)から政治学が生まれ、貨幣と交換の遊びから経済学が生まれた。需要と供給の関係性や、神意を問いたいという好奇心や、世の為人の為という公共心から、医学や宇宙物理学や地学や生命分子学やらも生まれた。始原の学問から色々と派生した学問群を一纏めにして「遊びの学問」としたい。

 今現在、機械が人間から生活の基盤を奪い、富める者はより富み、貧するものはより貧する状態が長く続いている。歯止めを掛けようと警鐘を鳴らす知識人も少なからず居るが、産業と軍部の巨大な複合的コンプレックスと、莫大な広告料から成り立つメディア支配には未だ誰も抵抗できない。抵抗できない状態が常態化し、それが当然の帰結であると思い込み、監視社会が内面化すると、パブロフの犬の様に何時しか考えることを止める。考えるのが苦痛でたまらなくなってしまった、「調教済みの」人間を無理矢理学習机に座らせる事は出来ない。快感のみを追求する人間たち(大衆社会)が何処に行くのかを予見するには、過去の失敗から学ぶ位しか出来ない。この危なっかしい傾向はどうなるのかを予測するのだ。失敗学とは、即ち、歴史の負の側面を照射する試みである。歴史学とは多岐に渡る。科学史哲学史、宗教史、各国各地域の文化・風俗史、もっと大きく言えば人類の文明史、生命全般の歴史、地球の歴史、そして宇宙全般の歴史。失敗学の研究は、まだ始まったばかりである。