Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

猫のように、犬のように

 歩きながら色々と考え直し、気付くことがあったので、忘れないうちに書き留めておく。まず、身体感覚を鍛えるには、猫を見習うべきだ。次に、記号感覚を鍛えるには、犬を見習わねばなるまい。最後に、無我の境地に達するには、聖者を見習わねばなるまい。

 そんな事を考えながら、忘れないように復唱しながら歩いて帰った。

 一つ思い出すことがあったので、これも忘れないうちに書き留めておこう。いつの日か、祖父がこんな昔話をしてくれた。戦争のときに、頼りにならないのはヤクザであったと。爆弾が一度落ちた後にできる穴に入っておけば、安全だ。この二つのことを教えてくれた。ふと気づいた。なぜ祖父はそんな事を知っているのだろう?誰から聞いたのだろう?そうか、祖父の父、私から見れば曽祖父にあたる、まさに戦争の前線に出て戦った人間本人から聞いたのだと。曽祖父は召集令状を二度受け取ったそうだ。終戦の後は、地元の復興に尽力した、相当に頭の切れる人だったそうだ。信仰心にも篤く、天理教に入って多額のお布施をしたり、民生委員となって地域の貧者に施しを与えるのを喜びとしていたと聞く。夫婦の仲もよく、母曰く、夫婦喧嘩をしているのを見たことがなかったらしい。それくらい、立派な人だったと。多分に神格化されすぎている側面も否めないが、人格において優れていたことは間違いないらしい。だからだろうか、戦争で何があったかについて、殆ど語ろうとしなかったそうだ。ただ一言、戦争なんかしちゃいけん、と呟いたそうである。だからこそ、祖父は恐らく、父親から直接に、二人だけの時に、何かしらの場面で昔話になったのだろう。その時に、二人だけの時間があって、それはとても豊かな時間だったのだろうと思うが、戦場で自分が経験したことを話したのだろう。それを語り部として、祖父は孫である私に伝えたかったのかもしれない。

 いま祖父はほとんど話すことができない。病が四肢の運動を妨げ、話すことも書くことも出来ない。祖父がなぜあのとき、私に語ってくれたのか。なぜ私は今このことを大切に覚えているのか。真意は分からないが、その時祖父にはそうせざるを得ない事情が在ったのだろうと思う。そして、私も覚えておかないと落ち着かない、何らかの事情が在るのだろう。

 ストーリー・テリングという言葉があるそうだ。「語り」や「物語り」とも訳されるが、つまりは語り部のことである。語り部は、彼本人が経験していないことを主に語るのである。戦争体験をした人間は、戦争のことを語れない。己の主観が語りを邪魔するからだ。張本人は真実を知っているからこそ、墓場まで持っていってしまう。だから、張本人に最も近い、近親者や家族親戚の人間の方が、語り部の資格を得るのである。彼ら彼女から語られた物語を、書き言葉にしたものが、物語詩であったり、小説であったり、体験録だったり、告発状だったりするのだ。戦争について私に残されたのは、祖父の記憶だけである。祖父の記憶は主に曽祖父の体験により成り立つ。曽祖父の体験とは、究極的には、天皇陛下への信頼により成り立つのであって、だからこそ、曽祖父は熱心な神道信者だったのだ。これは疑いようのない真実である。もし仮に私の内部に神道が入っているのならば、それは曽祖父から祖父、祖父から母、母から私へと受け継がれたものに違いない。

 なんだか自分史のことばかり話している。詰まらない話ばかりで恐縮である。