Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。Peace.

ブログ的な文章

飯を喰わなくても生きていける時代になったらどうなるんだろうか。

 

飯を喰うとは働くことであり、働くこととは飯を喰うことだ。

飯を喰わないとは働いていないことであり、働いていないのは飯を喰わないことだ。

 

生きんとする意思とは息を吸うことであり、息を吐くとは生きている証だ。

死ぬとはもう息をしないことであり、息が出来ないとは死が近づいている証だ。

 

私は働きたいし、私は生きたいと思う。

私はご飯が食べたいし、私は息を吸いたいと思う。

 

月給取りになるとは、毎月の飯代を払ってくれる親方に雇ってもらうことである。

しかしながら、親方に雇ってもらえば自動的に月給取りになれるとは限らない。

なぜなら、日本に於いて雇ってもらうとは親方の下で生涯に渡って人事を尽くす約束を執り行うことを意味するからだ。

一度組合から離れた人間は、バツがつく。

退職歴とは離婚歴の様なものだ。

退職歴があって頼る者もいない独身男女は、実家に帰省しているバツイチ子持ちのシングル・マザー、シングル・ファザーの苦労が少しだけ分かる。

世間から爪弾きにされる苦悩は皆一緒である。

 

ところで、雇われたら直ぐに親方の指示を聞かなければならない。

親方の指示は、基本的に絶対である。

親方にはお気に入りがいる。

お気に入りとは親方よりも偉いことがある。

親方には気に入らない者を追い出す権限がある。

気に入らない者は、自由に辞める権限を持たない。

仕事を辞めるとは、バツイチになることだ。

バツイチになるとは、色んな親方から信頼されないことだ。

信頼されないとは辛いことである。

最も辛いことは、自分すら信じられないことだ。

 

客商売に於いて、客とは「お客様」であり、神様である。

学校に於いても、生徒とは「お客様」であり、神様である。

神様に奉られるのは、若人衆(の健康と時間)である。

学校で行われているのは、まさに奉納祭と言う名のタダ働きである。

奉納祭に参加したくない、参加できない若人は、若人としての資格を失う。

資格を失った若人は、孤独の狼になるか、お調子者の道化師を演じるかの何れかを選択するよう迫られる。

どちらも選択しない場合、自動的に居場所は奪われる。

遠くない将来、組合から強制的に追い出される。

 

斯様に、月給取りであり続けることは、大変である。

 

働かなくてもよい時代とは、飯を心配しなくてもよい時代である。

しかし、これだけは断言できるが、地球上の全員が毎日の飯を心配しなくてもいい時代になっても、人間から働くことを奪うことは出来ないだろう。

働かないで飯を喰う人間を差別したり、町から追い出したり、レッテルを貼ったりするだろうと思う。

 

 

 ブログ的な文体を真似るのは難しい。馬鹿な中学生が書いたポエムみたいになる。改行し過ぎなのだ。私はあまり動画や画像を貼り付けるのを好まない。視聴覚を無暗に刺激すると、文字を追おうとする勢いが削がれてしまうからだ。

 ブログって縦書きに出来ないのかな。

 と思って調べてみたらあった。

official-jp.goat.me

 縦書きで書けるのは、日本語の自然な操作が可能になるような気がする。はてなでも、是非、縦書きの仕様を導入していただきたい。お願いします。