Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

原点Oを求めて

 なんだか同じ話ばかり書いている気がする。もう話したい事がないのだから、論文に取り組めば良いのに。循環思考はキリが無い。この循環機構をエンジンの動力源にして自分というドリルを働かせれば良いのだが、そうにも行かないのだ。休みたいのではない。論文よりも大事なこと、つまり自分の死の問題についてトコトン考えたい。私は恐らく本質主義者なんだろうと思う。

 嫌なことに遭遇する。または体調が芳しくない時が来る。幻滅したり、計画が頓挫したり、目標を諦めざるを得なかったりする時も来る。自分の力ではどうしょうもない、望みが無い状況に陥る時も来る。人生浮き沈みの繰り返しだから、上手く行かなくて当然だよと言い切りたいが、言い切れない時も来るのだ。全員認めても俺だけは認めないぞ、と意固地になる時もある。止めたいと思いつつも止められないのだ。所謂、かっぱえびせん状態だ。危機的な状況の時は、難しい言葉や論理は頭に入ってこない。だから、分かりやすい言葉で残しておきたいのだ。

 足し算と引き算で考えるのではなく、掛け算割り算で考える。これだけだ。いいことは正の整数で、悪いことは負の整数としてみる。眠っているような状態がゼロだ。危機的な状況というのは、悪いことが立て続けに生じているのだから、負の整数の加算が行われていると考える。私は今まで悪いことを一気に全部同時に良いことに変換しようと試みては、そのたびに失敗して、余計に落ち込んできた。色々と研鑽(?)を積んだ結果、全部一旦カッコで括ってしまって、それに0を掛け算をすれば良いことが分かった。これが無の思想だ。諸行無常とはあらゆる整数的事象に0の掛け算をする事だ。空即是色とは、結果的に0になった後に、本当に0であるかをもう一度筆算して確かめる作業である。そして、やはり0であったと分かれば、色即是空に戻る。この繰り返しを行なう。すると、あらゆる苦しみから解放される。元気でもなく病気でもない、どちらでも無い状況になる。それが客観的になったという事だ。

 客観的になれば、問題解決は自ずと見える。あとはそれに従えば良い。いい事が起こりすぎて傲慢になったときも利用できる。一切は空に過ぎないと悟れば、手放すことも容易になるはずだ。原点回帰というが、まさにそれだ。X軸とY軸の交差する原点Oに絶えず戻っていけば、自分の位置が把握できる

 心にベクトルを描くとき、何処に原点を取るのか。記憶の根源を探るのは、数学的な愉楽がある。