Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

実践知としての町散策

 今の私は知行合一が一つのキーワードになっている。町散策もその一環である。町を歩いていると何かしら興味深い事が起きたり、知らなかった事実に気付くことがある。川がどうやって流れているのか、どの辺りが住宅地で、主幹の道路はどの方角から走っているのか、神社仏閣が多い所の特徴は何か、学校や病院、工場や商店街の大まかな見取り図はどうなっているのか。歩けば歩くほど、その町の土地勘なるものが身に付くような気がする。この感覚が、今私にできる知行合一なる実践知に最も近い。

 商店街に行く。八百屋で野菜を選んで貰う。魚屋で魚を捌いて貰う。酒屋で酒を飲まして貰う。米屋で米を詰めて貰う。煙草屋で煙草を吸わせて貰う。靴屋で靴を仕立てて貰う。古本屋で本を譲って貰う。文房具屋で商売道具を揃えて貰う。散髪屋で髪を切って貰ったり、色々と世間話を聞いて貰う。歯科医院では虫歯を治して貰ったり、色々とアドヴァイスを貰う。接骨院で捻挫を治して貰う。珈琲屋で豆を挽いて貰ったり、焙煎して飲まして貰う。洋服屋でスーツを仕立てて貰う。職人から技術を貰うにしろ、商人から商品を売って貰うにしろ、お医者様から施しを貰うにしろ、それにつけてもあれにつけてもどれにつけても、貰う行為には対価が生じる。だから、働いて銭を掴んで来ないと、町で生きていくにせよ、村で生きていくにせよ、どんな場所であろうとも、己の生を活かすことが出来ないのだろう。

 市役所からの施しで生きていくのは、それは相当の胆力なり覚悟が要る。息を吸って吐くことに対価が支払われる立場に在ることを、恥を忍んで、世間に頭を垂れながらも堂々と生きて行くことの出来る人間は、真に選ばれた人間(エリート)である。今の私にはその胆力は無いし、また幸いなことに身内が元気で余裕がある。それは幸いな事だと、簡単に片づけるべきではないだろう。今はただ今与えられた使命(論文提出)を全うすることしか出来ない。

 町を散策するのは、面白い。街ではない。町だ。街は町より個性がない。街で行われる散歩を記述すれば、例えば、街路樹の下をヘッドホンを付けて音楽を聴きながら、舗装されたコンクリートの上を、ヴェトナムかフィリピン辺りで生産されたであろうランニング・シューズで、脇目も振らずに走り抜けていくようなものだ。その時に感じる疾走感や解放感は町を歩くときの鈍重さや平凡さとは全く異なる。それは謂わば舞台役者に成り切るようなものだ。演目は『疾走』である。人工的に整備された舞台の上で繰り広げられる踊りだ。若者は全身10万円のスポーツ・ウェアに身を包む。シルバー世代は腰に万歩計を付けてえっさほいさ歩く。最近健康診断に引っ掛かった肥満気味の中年は一日5キロ歩こうと意気込む。血の気の盛んな若い男女はジムに行って体力づくりをしたり、ホットヨガで汗を流す。ジムの帰りに大型量販店に行って、健康食品を買う。こう書いてみると、私は彼ら彼女らの表面的な現象面しか知りようが無い。それもそうだ、彼ら彼女らは私を通り過ぎてしまうからだ。じっくり観察させてくれない。だから私は街があまり好きではないのだろう。街で面白いのは寧ろ、一人一人の立ち振る舞いよりも、その顔面である。田舎から出て来た人間が都会に行って驚くのは、建築物よりも、サアヴィスの質の高さよりも、人間の顔面の奇妙な取り合わせである。それ位、田舎の人間の顔面は、似たり寄ったりで面白くない。都会の顔面は面白い。事程左様に、私にとっての「街」とは観察の対象でしかない。そして、「町」こそが私の暮す空間である。

 それにしても東京の町は面白い。故郷の広島(F山)の山や畑や田んぼのイメージは、蜃気楼のように揺らいだり消えたりするが、未だに脳裏に残っている。東京(K区)は山や畑や田んぼの代わりに、川が流れ、道が網の目の様に細かく分かれ、小さな町工場が犇めき合う様に立ち並んでいる。その一つ一つが興味深いが、変幻自在に色形が混じり合って行くために、家に帰ったときには何もかも忘れてしまっている。だから飽きることなく、何周も何周も、行ったり来たりを繰返しながら味わうことが出来る。

 『ブラタモリ』や『ちいさんぽ』とまでは行かないが、私もこの際、郷土史や古地図について調べてみようかしらん。