Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

A Baby on the Plane

 飛行機に乗った。里帰りの為である。用事は二つ。まず、弟と弟の嫁との会食。結婚してもう一年が経とうというのに、私は未だに彼等と会う機会を逃し続けていた。次に、私と母と弟夫婦と共に療養中の祖父母への見舞い。結果から言えば、会食は虚しかった。見舞いは濃密過ぎた。足して二で割って丁度いい塩梅だったのだろう。今は、成田空港第二ターミナル内にある喫茶店で、万事済んでホッとしながら、このブログを書いている。

 私は馬鹿な人に会いたくない。気の使えない人に会いたくない。自分勝手で、公私の区別が分からない人と時間を過ごしたくない。一緒にご飯を食べるなど、もっての外である。というのも、独りの快適さを知ってしまって以来、私と出会う人は家族だろうが親戚だろうが友人だろうが恩師だろうが、馬鹿で、気の使えない、自分勝手な人間に早変わりしてしまうのだ。

 これは私の幼さの現れであり、精神の弱さなんだろうか。一応、今日の所は体調のせいにして置こう。  

 つまり、会食中、私は訳もなく不愉快だった。話し方から、視線の合わせ方から、お辞儀の仕方まで、気に食わなかった。弟にも、弟の嫁にも、両方に対して感じたのは、「いけ好かない」という一言だった。

 その後に病院で起こったことについては、また時間が経ってから書こう。濃密すぎる経験には時間の経過が必要だ。クリープの無いコーヒーが苦すぎて飲めない様に、忘却作用の及んでいない強烈な経験は、一旦休ませた後に言語化してみるのが良い。

 あ、これは覚書のために書いておこう。着陸態勢に入った飛行機の中で一番腹の座った人間はだーれだ?大人?スチュワーデス?パイロット?正解は・・・赤ちゃんでした〜。着陸の合図から実際に着陸するまでの5分間、私や大勢の大人達が息を潜める中、ふっと横を見ると、お父さんに抱かれた赤ちゃんが眠気に耐えられずウトウト寝始めたのだ。着陸する際の轟音と振動にも全く動じず、赤ちゃんはそのまま父親の腕の中で寝続けた。次に目覚めるときは、家のベッドだろう。

 私は思った。赤子は怖いもの知らずだ。そして同時に思った。無知とは幸福の裏側に貼り付いているのだ。そうだ。あの赤ちゃんは飛行機が墜ちる可能性があるのを知らないから怖がる必要もなかった。私は、堕ちるはずなんか無いに決まっている、と思いながらも、もし燃料に引火して爆発したらどうしようとか、ハリウッド映画的な大爆発の観念が次々に湧いてきて、落ち着かなかった。

 際限の無い想像は、時に毒となり己を苦しめる。これは今回の帰郷から得た一つの教訓だった。