Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

水のような、空のような

  なんだかエロゲのタイトルのような響きだが、正真正銘、私の言葉である。(恐らく、『そらのいろ、みずのいろ』から連想したのだろう)エロゲの話をしたいのではなく、私は心の在り様について話したい。というのも、どうにも最近、体調が停滞しており、どこも悪くない筈なのにどうして、と思うことが多いからだ。

 私は本を買う。アマゾンやブックオフを頻繁に利用させてもらっている。図書館や古本屋にも足繁く通う。少ない稼ぎの大半を本を買うことに費やしてきた。御蔭で自室の本棚は本で一杯である。本を読む時間などない。本を買うための働く時間と本を探す時間、本を買う時間、そして新しく本棚を組み立てる時間に費やされているからだ。私の、特にこの4年間は、本であった。「私」という小さな図書館の司書兼館長だった。

 最近思うのは、果たして私は何故こんなに本集めに没頭していたのだろう、という疑問だ。これは即ち、私は何を求めて本を買っていたのか、という問いである。

 分からない。忘れてしまった。何か大袈裟な目標があったような気がするが、今、その目標を提示することは出来ない。恐らく、行為と目的が時間の経過に伴って合一してしまったのだろう。

 生きる苦しみや死ぬ愉楽を味わい尽くしたい。それは幼少からの思いだ。私は死ぬことを苦しいと感じたことはない。死ねば妖怪になって、自由になる。お化けの世界も楽じゃないそうだが、生きるよりも楽しそうだ。生きるとはルールに従う事だ。親や先生や法律に従う事だ。だから、死ぬことに比べれば、あまり楽しくはない。生きるためのルールを知るために、本を買ってきたのだろうか。教養を身につけたい、というのが当初の目的だったように思う。常識や良識を身につけたい、という思いに変化し、最後は、言葉や論理そのものを身につけたいと思うようになった。最近は、言葉も論理も大して要らないと思うようになって、禅とか翻訳とかにはまっている。

 飽きっぽいのだろう。私は飽きっぽい。心の対象がくるくると回る。ミーハーなのだろうか。天の邪鬼なところもある。落ち着きがない。そう、落ち着きがないのだ。空の様に移ろいやすく、水の様に不定である。凝固したり、昇華したり、移ろいやすいのだ。

 水、空、それを繋ぐのは、川であり海だ。遡れば、山に、土に、還るのだろう。私は自然主義者なのだろうか。名づけはどうでもいいが、要するに、コスモス的な循環が好きなのだ。

 今日はいい日だった。