Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

ぼくは論文が書きたい

 書けるかどうかは分からない。それは僕がいつ死ぬのか分からないのと同じ程度に分からない。だからあらゆることは確定的に語っては行けない、僕が死ぬことを除いては。

 僕は論文が書きたい。論文を書くための「御膳立て」は既に出来上がっている。あとは、僕の身体が僕の遺志通りに動いてくれるかどうかだ。「遺志」と言ったのは書き間違いではない。一度死んだような経験をしているからこそ、これからの意志はすべて遺志で間違いない。

 身体に説得するために何が必要か。それはチャートと見通しである。こうすればいいよ、疑うことなく動け、と命令する強い意志である。自動人形のように体を自在に操る、パペット・マスターとしての意志だ。

 事は意志だけで動かない。それを体は知っているから反抗する。生理学的な反応に過ぎないので、一切の痛みは無視だ。痛みなんて、今に始まった訳では無い。生まれる前からすでに痛みの用意は始まっていたのだ。一切皆苦を忘れてはいけない。

 もし完成できなかったら?もしも完成の半ばで死んでしまったら?体調が崩れたら?就職活動に影響したら?そういう対症療法的な問題に対しては、根本的な解決法が必要だ。一応の最善を尽くすための、事前対処はする。後は、天命に任せる。これでいいのである。身体は納得する。頭は納得しないかもしれないが。しかし、事を運ぶのは頭ではなく、この身体なのだ。だから、身体だけ納得してくれればいいのだ。

 今晩は勝負だ。