Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

『人生論ノート』について

 寝床に入ってグルグルと意識の中を探って見ると、後生大事にしていた様々な価値観やモノの見方が、既に効果と効能を失っていることに気づく。気負い、衒い、引っ込み思案、先取り不安、〇〇恐怖症などだ。これらの心理的、精神的、時に文学的な思考の枠組みを取り払うにはどうすれば良いのだろう。またどのような実践によって、その枠組みを抜け出して、柔軟で軽やかで地に足の着いた考え方が出来るのだろうか。また、私の目指す様な考え方を身に着けた(表象ではなく)生きた人間は、誰なのだろうか。仮に見つからないとしたら、相対的な基準に於いて、誰を仮のモデルとすれば、大きく誤らないで済むだろうか。または、自分自身の中で納得した生き方が出来るのだろうか。

 やはりと言うべきか、私がまず思いを馳せるのは、哲学者三木清氏のことだった。座右の書を一冊挙げよと言われたら、氏の『人生論ノート』を挙げるくらい、氏の文章が私は好きである。氏の文章には気負いがない。衒いがない。不安がほとんどない。全く病的でない。『人生論ノート』には、青年期に味わった幻惑を壮年になり遂に取り払った三木清自身の個人史が垣間見えるようだ。その、青年の清々しさ、熱意、苦悩の混沌とした情感の名残りの上に建つ哲学、即ち構想力こそが三木清氏の本質を形作っている。

 悩んだら『人生論ノート』を読む。これは恐らく、私の処世術なんだろうと思う。