Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。Peace.

訣別のため論文を書く

 疲れた。考えることにも、考えないでいるのにも、疲れた。疲れとは、肉体の衰えであると同時に、思考の自殺でもある。しかしながら、一度取り決めを交わした「論文完成と提出期限内に提出し、受理され、修士号を貰うための機会」を、そしてもうこの機会は二度と訪れることは無いだろうという直観に従うためには、内容云々よりもまず形式を整えることが何よりも大切である。そして、その形式の定着こそ私がこの三年間求め続けたものでもあった。

 作業として取り組むことは、確かに、私の幼稚なモットーに反する。更に、この作業自体が、両親の反対を押し切ってのものであるがゆえに、後戻りが出来ない。こうして私は、過去の自分に囚われ、束縛され、羽交い絞めされる。息苦しいのである。論文のことを考えざるを得ないが、考えれば考えるだけ、絞首台に一歩ずつ登るような気持がするのだ。嗚呼、論文なんてするんじゃなかった!そして、早く論文を終わらせたい!

 いい論文が書きたい。そして、私にはいい論文など一生書けない。なんで大学院なんかに行ったんだろうか。勉強したいから、ただそれだけの幼稚な理由から判断したのだ間違いだったのか。嗚呼、もう間違いだらけだ!

 諦める。正しい結論が出ないことに観念して、作業として没頭したい。没頭とは逃避だろうか?不貞腐れながら、いやいや作業することは、不誠実だろうか?こうやって見ず知らずの人に、内面を曝け出して、(まるでプライバシーの露出症だ)暗い快感を味わうのは罪だろうか?嗚呼、もうどうにでもなれ、と投げ遣りな気持ちになるのは無責任だろうか?すべて、そうである、と認めてしまいたい。私は、逃避癖があって、不貞腐れで、不誠実で、物書きとしても三流で、不快である。完全に悪者ではないと言い切れない、ということは、論理的に考えれば、私は完全に善人であると言い切ることが出来ない。果たして、完全な善人など現実世界にたった一人だっていないだろうが、だからこそ、自分もその大衆の中の一人であることを認めたくないのだろう。

 相対的な立場をとれば、誰だって善人だ。絶対的な立場を取れば、誰しもが悪人だ。相対的でもダメ。絶対的でもダメ。その丁度中間に位置する思考的枠組みが、解釈学なのだろう。若しくはロールズの正義論やマイケル・サンデル教授のコミュニタリアニズムなのだろうか。倫理学について、カタログ的情報しか知らない私は、断言を避けたい。ただ、今は、迷い続ける為に、生きようと思うだけである。

 人間は喰わねば死ぬ。これは途方もない、反駁しようがない事実で、自然の理であるが、ではそうだからといって、人間はみんなで一緒に働いてお金を稼がなければならない、となるのは、論理の飛躍があるようにどうしても感じてしまう。進歩主義成果主義に、根っからそぐわない人間なのだ。私は、どうしようもなく、生まれついての懐疑主義者だったのだろうか。何時から私はこうなってしまったのか。私の懐疑は、何時から始まったのか?

 私は、自分のことを、愚直な人間だとずっと思って来た。聞き分けのいい子として育ってきた感覚があった。だが、実際の所、その愚直さは私に固有のものであるはずも無く、両親の期待に応えるための演技であったのかも知れない。お兄ちゃんという役割、息子、長男という意識、男であるという事、児童/生徒である事、誰彼の友人であるという事、または身体的な生育が他の子どもよりも早かったこと、そうした諸々の条件の元にあって、私の思考のパラダイムが形成されたことは容易に納得できる。つまり、一言で表せば、アイデンティティの問題について、私は小さい頃から関心があったのだ。私は一体誰であるのかについて、よく悩んだ。

 そういう、ある種哲学的な悩みは、恐らく多くの人間は一般的解釈をすんなり受け入れて次のステップに進むのだろう。しかし私の凝り性がここに於いて発揮された。分からないものを、完全に理解していないものを分かったということは出来ない。意固地な性格は父親譲りだ。だから、大学時代まで保留して、大学生になったら考えよう。そして大学生になった。考えたが何時まで経っても答は出ず終いで、遂に病気になった。

 病気からの脱出劇は、振り返ればなかなかエキサイティングで面白さすらあった。その最後のエンディングが、この論文なのだ。この論文を書き上げた暁には、私の「アイデンティティの危機」は終わりを告げる。告げない筈がない。告げるに決まっている。アイデンティティとの訣別。これが私の論文の裏テーマだ。