Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

感性を鍛える=筋トレ?

 筋肉トレーニング、略して「筋トレ」である。エクササイズとは言わず、敢えて、「筋トレ」と称するからには、そこにある種の神秘性が備わっているのだろうと思われる。果たして、人間にとって筋肉とは何か。筋肉と対比されるのは脳である。脳が司令塔の役目を果たしており、神経細胞という通路を電気信号が通って、筋肉を働かせている。これは一般的な生理学の知識であるが、この観点からすれば、筋肉とは脳の下僕である。しかし、脳は果たして完全に筋肉を動かしうるか。それは不可能である。不随意筋という筋肉もある。脳は内臓の動きを支配することが出来ない。では、人間はどこまで己の肉体を支配出来て、またどの範囲に於いて支配が届かないのであろうか。正確に議論を期すならばもっと専門的な、神経専門医の知見が必要になるのだろうが、常識的に考えてみても十分面白いかも知れない。若しくは、自分をある種の実験体と見立て、実験と観察から得たデータを基にして考察してみるのだ。

 私は現在、大学院に所属しており、日中のほとんどを家の中で過ごす。時折、外の空気を吸いに散歩に出かけたり、買い物に行ったりするが、あまり人混みの中が好かないので直ぐに家に帰って来てしまう。夕方に個人塾のアルバイトを三時間から五時間やって、その後、再度家に帰って、食事と沐浴を済ませて、寝る。そんな生活がここ二ヶ月間程度続いている。大学院の授業が無く、自分の論文を書いて提出するのが最終課題として出されている。週に一度、メールで進捗状況を報告するのが習わしになっているが、今担当教官が海外出張(というか遊び)の為、彼に意見を聞くようなことは出来ない。いずれにせよ、自分の研究なのだから、自分でやるより他ないのだが。

 さて、私はこのブログに於いて何十回と告白してきたことだが、あまり体調が芳しくなく、すこし太り気味で、自分の外見にも否定的な観念を持っている。更に、家族、特に父親との交流がほとんどなく、実家暮らしも居心地が悪い。しかし、住まわせて貰っている立場の上、アルバイト代も社会保障費、ケータイ代、交際費(今年は結婚式が二回もあったのだ)と書籍代、研究代、喫茶店代、煙草代で消えてしまう。病的な切羽詰まった症状は今のところなく、むしろこれまでと比べればとても安定しているとすらいえるのだが、しかし、巷で流行している「プチ鬱」な状況であることは確かである。

 私の問題解決は、「救済」を求めんが如く真剣で、深刻だった。しかしその結果は、余りにも喜劇的だった。まず私はこれを問題として認めずに、放置していた。次に、解決策を、キリスト教や仏教、時にイスラム教に求めた。失望の末、個人史的な解釈に求めたり、両親、教授、友人たちの経験則に求めた。それでも納得ができず、様々な物書きの人たちの言葉の群れの中に求めた。時に音楽家や映画監督に求めた。保守、進歩問わず、様々な政治思想に求めたり、思想家や評論家の意見に求めた。何だかどうでも良くなって、近所の川や池のほとりに座って眺めるその風景の中に求めるようになったり、すれ違う人たちの表情の中に答えがある気がした。そうして時間ばかりだった挙句、遂に精神科の医者に求めて、処方箋を出された。私の答えは、処方箋に書いてあった。『適応障害』。処方された薬を飲むと、徐々に精神が安定して、何だか今までの苦労が馬鹿馬鹿しくなってきた。それは、救われたような感覚に近かった。

 しかしながら、神経細胞の高ぶりが抑えられ、落ち込みが少なくなれば、すべて解決するかと言えば、そんなことは無かった。身体を持て余してしまう。この元気な身体を何処で働かせようか。その時、自然と、もう一度論文が書きたいなあと思った。そうして復学をした。だが、神経細胞や脳内の神経伝達物質の均衡がとれている事と、論文をするための精緻な議論を組み立てるための肉体的ないし精神的な条件が揃っている事は、どこか本質的にズレているのだ。このズレを解消したいと思って、散歩をしてみるのだが、あまり効果が長続きしない。そうして行き着いた先にあったのは、筋トレだったのだ。

 そう、長々と個人的な話をしてきたのは全てこの筋トレというソリューションの実効性を、自らの身体で確かめてみたい、という所信表明の為だったのだ。根本的な悩みに、一応の区切りがついたならば、今度は体を動かして見よう、と提案しているだけである。事実、『筋トレが最強のソリューションであるーマッチョ社長が教える究極の悩み解決法』(Testoterone著、ユーキャン自由国民社、2016年)なんていう、筋トレ系自己啓発本もあるくらいだ。事実、この著者にとっては、筋トレとは物事を考えるための土台になっているのだろう。これがどうして、なかなか為になり、面白い。面白いのは当然で、経験則「しか」書いていないからである。経験則とは、即ち、筋肉が教えてくれたことである。理性よりも感性を信じる、その為に筋肉を鍛える、そんな読後感があった。

 私も、自分でトレーニングメニューを作ってみようか。体幹、肩甲骨、股関節の三つの部位が、人間の身体の基本になっていると読んだことがある。また、太ももは第二の心臓と呼ばれるくらい、血流と深く関わっているそうであるから、スクワットや階段の昇り降りも取り入れればいいのだろうか。

 あと、論文提出まで122日である。122日後、論文が提出出来て、尚、身体まで健康になっていたら、まさに此れ以上ない幸せだ。