Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

ラポールをヒントに考える

 アルバイトが個別教室の講師ということもあり、子供(児童・生徒)たちにアドヴァイスする時がある。相手を説得し納得させるためには、往々にして、普段の自分の生活態度とは異なる、ある種の「いい先生」的な立場に基づいて語らざるを得ないことがある。語る内容には、勉強以外の事柄も含まれる。例えば、学習する時の姿勢、態度、様式、作法、常識的な判断、良心的な配慮などである。子供の中には、勉強を教える以前にそちらの方に目が行ってしまう子もいる。時代錯誤も甚だしいのを承知で、やんわり注意したりする。そうするのが正しいから、と言うよりも、私がそうされると嫌だから、と敢えて本音を言う。子供の敏感な目と耳は、大人の嘘と本音を正確に聞き分ける。注意するときは、本音がいい。勉強の時は、大袈裟に褒めたり、知らないふりをしたり、おどけたりしするが、注意のときは生身の人間として接する。そこには上下の差異は極力失くすように話を持って行くようにする。

 教員でなくなって早10ヶ月。今も尚、子供と接する仕事に就いて、「先生」等と呼ばれる。私から子供と真剣な話をする時、もしくは子供から真剣な相談を受ける時、ドギマギしながらも、一生懸命に自分の意見を訴えたり、向こうからの訴えを聞く。嗚呼、やっと本当に言葉を使っているな、と思う。私の言葉は子供に十分には伝わらない。また、子供の相談も私には根本的には解決できない。しかし、そうした言葉の格闘を交わした後には、必ずと言っていいほど、両者の間に連帯感が生まれるものなのだ。それが、指導を円滑にする為の潤滑油として働いていたりもするのだ。フランス語を使う必要もないが、教育業界では矢鱈に使われる言葉「ラポール」とは、そうした人間関係における「信頼」のことである。

 私は、殆どの他者(老若男女、国籍問わず)と一対一のラポールを形成するのが全然苦ではない。寧ろ、そういう場が好きである。だから、私は元々社交的なのだ。それなのに家に引き籠もって論文を書こうとするからシニタクなるのである。書を携えて町に出よう。それが今一番大切な事だ。論文と私の間にラポールを築かねばなるまい。