Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

52/140:修論を殺れ!→落ち着こう

 殺るか、殺られるか。私の人生に於いてどうしても殺らねばならない事象があったとすれば、まさにこの三年前の修士論文であった。これは謂わばuncompleted missionなのである。その代償は本当に大きかった。今度このミッションを仮に達成したとしても、当初約束されていた報酬は殆どない。しかし、それを終えないうちは何事も始まらないのだ。逝きし日の私―修士課程の願書申込みの最終日にギリギリ間一髪間に合って薄氷を踏む思いをしたあの日。修士論文提出期限目前になって、N先生に提出できないことを伝え、大泣きし、焦燥しきったまま2月10日の正午を迎えたあの日の私。何度となく押し寄せた死の欲望と観念に取り憑かれ、身を任せようか否か、真っ黒い川が流れる橋の上で戸惑っていたあの日の私―過ぎ去った世界に生き続ける「私」達が、今日の私を鼓舞するのだ。今度は上手く殺りなよ、と。

 殺るべき事は唯一つ。修論である。優先順位の話ではない。唯一なのだから、優先順位もつけようがない。だから本当はこんなブログも、趣味の読書も、人格形成すらも関係ない。殺る気を起こす工夫は、しかしながら、必要だ。全身運動、論理訓練、集中と緩和。そうした練習を少しずつ積み重ねるのだ。今日はまずその練習から始めよう。

 今日が終わる。私は、もう十分に回復した。集中と緩和も上手く切り替えられる。文字を追い続けるのも苦でない。一日に数時間歩くこともできるし、食事の制限も管理できる。私は修論が殺れる程度に復活した。

 この修論とは一騎討ちなんだ。勝負なんだ。勝つか負けるか、二つに一つしかないのだ。負けないように力を溜めねばならない。

 

 

 母上からの助言を添えて置こう。私は小さい頃から何事にも嵌り易い性質に生まれているので酒や賭博にはよくよく気を付けないと行けない。ファッションにしろ音楽にしろ、お前は一度何かに嵌ると他の事に目が行かなくなってしまう。そうして、自分の首を絞めるような事になってしまうんだよ。今もまさにそうで、やらなくてもいい修論を何度もやって、わざわざ自分で自分の健康を害している。

 ああ俺は昔からそうなのか。今に始まったことではない。この「やめられないとまらない」状態になってしまう自分の性格を直さないと行けないのか。そうだったのか。やはり母は息子のことをよく分かっている。殊に性格や行動の傾向性に関していえば、俺よりも俺のことを熟知している。本当に有り難い助言だった。「修論を殺れ!」という極端なタイトルも、私の性格をよく表している。私は、昔から極端な性格で、且つ、嵌りやすく周囲に感化されやすい性質なのだ。嘗て私は友人やテレビや本や音楽や映画から大いに感化され、共感し、共振したものだった。今私を感化する物は言葉である。自己と言葉を無理矢理切り離すことで、自己の魂が言葉自体と鏡像関係を結び、言葉に映る自分の姿を眺めてはうっとりしているのだ。私の感受性は昔から変わらないのだ。生まれつき、自己内世界で遊ぶのが好きなのだろう。このような非生産的な遊びを止めたい。本業に落ち着いて取り組みたい。

 落ち着きが今は大切だ。落ち着こう。keep calmこそモットーにすべき時だ。