Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。嘗て高校教諭。現在はラップ研究している大学院生。Peace.

気づく前に、気づく

 そうか、哲学や思想というのは結局、地理学と考古学に落ち着くもんだ。近代ドイツ哲学、近代イギリス哲学、中世フランス哲学、古代ギリシャ哲学、古代インド哲学中華思想、日本思想、アメリカ思想という風に。地理学的な視野の動的な態度と、考古学的な想像力と静的な直観とが、人文学の智慧を享受し、上手く使いこなす上で求められるということだ。

 ○○哲学、○○主義、○○思想、○○批評、○○の詳察、○○の概観、○○の用語、○○の歴史などは単なる一つの断面に過ぎず、それだけでは話し手、書き手の解釈の押し付けに過ぎない。酷い場合は広告主、編集者、売り手の思惑に過ぎない。普遍的な価値を求めることと、題名に普遍性が伴っていることは、必ずしも一致しない。抽象的な言葉に必ずしも普遍的な価値が伴っていないように、個別具体的な状況説明が、必ずしも人に覚悟をもたらすものでは無い。読み手、聞き手の鑑賞する態度や責任感がなければ、どんな金言も忘れ去られてしまう。

 こんな当たり前のことが今まで当たり前でなかったということ自体、改めるべきことだ。気づく前に改めるべきだ。それはつまり、人の振り見て我が振り直せ、と諺にあるような、わざわざ自分の体で失敗する前に、もしも自分ならと立場を置き換えて想像し、未然に対策案を練り、実行に移すことだ。己の世界だけを見つめながら歩いていると己の弱さ、狡さ、悪さ、改めるべき性格によく気が付くが、歩いている途中に蓋の開いたマンホールがあることには気づかないものだ。穴に落ちてみて初めて、己の盲目であった事を知るのである。

 先の例で言えば、地理学的な態度も考古学的直観も、両方あって初めて成り立つのだ。つまり、過去を振り返る事と、外界を見渡すことが、同時に存在するということである。予見力とはまさにそのような一致点を見出す力である。

 予見力や予言というとカルト地味ていて嫌だが、しかしながら、ある程度の予見力を自らの中に持ち、大失敗を未然に防ぐよう、己に予言、進言することは不可能ではない。