Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

きれいな言葉を吐きたい

 ひとつ、当たり前なことから。或る人は沢山本を読み、沢山の人に会って延々と議論し、世界中を旅行して見聞きする。その本人の中だけに沢山の知識や、滅多にできない経験や、誰も知らない発見などがぎゅうぎゅう詰めになっている。それはきっと素晴らしいことで、大変な苦労を伴ったであろうと思う。嘗て、老人が死ぬのは図書館が一つ無くなったのと同じ、と言われたそうな。それくらい人間の体(頭)の中には、沢山の智慧が詰まっている。

 次に、きっと多くの人には好かれないであろう私の持論を。先に述べた、智慧の宝庫のような人間が現に沢山居て、彼彼女らに本の執筆を依頼して書いてもらう。または、本人が書きたがって、出版社に持ちかける。そうやって年間に何万点もの出版物が生産され、流通し、販売され、一部が購買され、残りの殆どが一度も読まれないままに倉庫にしまわれ、遠くない将来、一度も封を開けられないままにゴミ箱に投げ捨てられ、ゴミ収集車に載せられて焼却炉に投げ入れられ、可燃材として燃やされ、灰になり、煙になり、焼失する。本(出版業)とは99%の無意味と1%の意味から成り立つ生業である。

 更に好かれなさそうな持論をもう一つ。先に述べた、辛うじて生き残った1%の意味のあると信じられる本(新刊本)の内情である。悉く文章が下手である。きれいじゃない。美しさもへったくれもない。ことば遣いが恐ろしいほど稚拙である。信憑性の低い話ばかりである。またはどうでもいい下らない話ばかりである。知らない方が良かったと思うくらいである。信じられないことである。もう、本(新刊本)なんて買うかと何度思ったことか。それくらい、文章の水準が低いのである。読むに耐えない!物書きさんたちはまず俗物的で、金に汚くて、煩くて、自己顕示欲が高く、偉そうで、恥知らずな嘘つきばかりだ。そう言ってよっぽど間違いない。敢えて言おう、物書き、死すべしと。お前ら一回死んで(帰って)来い!

 私にとってとっても大切な気づきは、いくら本を読んでも、人生経験を積んでも、知見を広げても、考えても、悩んでも、苦しんでも、文体は早々変化しない、ということだ。そして、文体を変えるとは、ほとんど不可能に近く、血を全部入れ替える位の覚悟が必要だということだ。それは、誰かの物まねではない。文体に教科書は、無い。文豪の文章を真似る。国語辞書や漢語辞典を通読する。毎日日記を書く。調べ物をして、丁寧な考察を重ねる。結構なことである。しかし、文体は変わらない。お前がお前である証拠のようなもの、それが文体だ。これは実験と考察の積み重ね、ではない。お前が本当に誰であるのか、その問いに答えるのは、誠実さや真摯な態度だけでは足りない。外に出る。生身の体で誰かと触れ合い、感じ取る。デカルトが世界を本として扱い、人生経験と形而上学を融合させようと試みたように、生身の自分、体、心、ことばを以て世界を捉えて、初めて、文体に微小な変化が与えられる。大きな変化は、こと文体に関しては、要らない。それは、精神分裂病を自ら招く様な愚行である。文体とは、文章の様式であると同時に、生活の様式である為、その人間の様式でもある。文体を変えるのに、手っ取り早さは要らない。熟すものだ。文体とは、植物である。育てるものだ。枯らさないように、慎重に、丁寧に扱うものだ。そうだ。文体とは、私という木だ。