Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

映画の味方

 映画はいい。犬のように好きだ。映画はいい。鳥のように自由だ。猫のように気ままだ。魚のように美しい。映画は自然の鏡だ。映画が観たい。毎日。しかし、なぜか知らないが、最近、映画が観れない。雑音が入る。雑念に囚われる。落ち着かない。集中力を欠いている。無性に煙草が吸いたくなる。やはり、まだ治りきっていないようだ。

 映画の代わりは、やはり映画である。長編が観れないなら、短編でもいい。だから、動画サイトに入り浸る。ワクワクする。と同時に、観る前から幻滅している。何を観たらいいのか見当も付かない。そうして、愚にもつかないものばかり観てしまう。時間の無駄だ。しかし、そうは知りつつも、観ずにはおれないのだ。馬鹿なこと、愚かなこと、汚いことをしている。よく知らない人たちが、素人芸を披露する。下らない。しかし、観てしまう。私の中にどんな心境の変化があったというのか。下らないものを好むようになってしまった。どうでもいいことを、放っておけなくなってしまった。些細な事に、心がから回るようになってしまった。些事にかまけて、大切な仕事を疎かにするようになってしまった。そして、何時でも怯えている。よくないことが起きる。悪いこと、悲しいこと、辛いこと、苦しいことが起きつつある。悪い癖だ。治そうと思う。

 本や音楽は、不思議なくらい、抵抗なく受け入れる。時間を忘れて没頭できる。映画は、特に初めて観るものは、不思議なくらい途中で観るのを止めてしまう。多分、予想外のことが起きるのに耐えられないのだろうか。そうして、悲しくなったり、辛かったりするのが、あまりにも苦しいのだ。だから、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』なんて最初の10分間で観るのを止めてしまった。マツコさんのベスト映画らしいので、観ようかと思ったのだが、無理だった。ああ、好くない。これは、駄目だ。そう思った。まあ、健康な人にも、通して観るのはきついかも知れない。しかし、『Uボート』すら駄目なのだ。これは重傷だ。昔なら齧りついて観たはずだ。しかし、冒頭の15分でもう駄目だ。きっとこの乗組員全員、死ぬんだろう。そう直観して、止めてしまった。

 映画(映像)とは、まさに自然を写しとる鏡だ。残酷な生、虚無的な生、悲惨な生。そういうのばっかりが、私には見えてしまう。バラエティ番組ですら、上手く観れない。想定されている「幸せな視聴者」と己を比較して、決して自分に向けて作られた映像ではない、と確信し(大抵当たっているのだが)、消してしまう。「下らない」と言いつつ、しかし、本当は観たいのだ。嘗てのテレビっ子だった自分を思い出す。観るなと言われても観たがっていたあの頃の自分。小学生の自分。そして、今の自分。変わっちまったなあ。

 もう今日が終わる。明日が待っている。私は、もう何十週、見逃し続けてきたんだろう。私の毎日は、見逃し続ける日々だ。毎日、見逃している。見るべきものを。みんなが見ている風景を。人と人の間に生じる関係を。私は、自らをスクリーンから引き剥がすことによって、そして、このパソコンの画面、スマホの画面に固定することによって、束縛する。自由を奪う。否、自由が奪われた状態に自分を追い込む。なぜ?性的なもの?ドMなの?快感を味わっているの?分からない。無意識にそうしていて、それが習慣になったのだ。習慣から抜け出せない。ああ、ああ、ああ。

 それでも私は映画の味方である。映画は素晴らしい。もう一度、あのスクリーンの世界に入って行きたい。映画の世界とは、自然の世界だ。すべてが生き生きと、必死で闘う世界、戦場、修羅場、苦難の世界。それは即ち、本物の世界だ。本物は偽物では置き換わらない。本物の、リアルな世界にもう一度復帰できるように、少しずつ、リハビリを頑張りたい。