Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

趣味読書から読書習慣への進化

 趣味は読書です、と言う人間は、日本に何人くらい居るのか考えた人が居る。斎藤美奈子氏である。氏の『趣味は読書。』(平凡社)では、日本人一億二千五百万人の内、純粋な読書人口は、五百万から六百万人程度だろうと推定されているそうだ。(そうだ、と引け腰なのは、大変情けないことに、これは孫引きだからだ。勢古浩爾『思想なんかいらない生活』(ちくま新書)の205項から得た知見である。真のジャーナリストないし、誠実な物書きなら、きちんと裏を取るなり、原典に当たるべきなのだろう。だから、この話は全部ウソかもしれない。しかし、私は思いついたものを忘れないうちに書き残しておきたいせっかちな性分なので、そういう確認作業を後回しにしてしまう。まあ、ブログなんてそんなものかと言ってしまえばそれまでだが。)斎藤美奈子の主張は、不思議なくらい腑に落ちる。彼女の観察眼は天性のものなのか知らないが、はっきり言って天才的だと思う。褒め過ぎか。そんなことはない。一番好きな物書きの一人かもしれない。

 閑話休題。私が書こうと思っていたのは、読書が趣味の人間は、大体20〜25人くらい集めれば一人くらい出くわす確率で生息している推測についてである。日本に限って言えば、が付くか。世界水準(横文字を使えばグローバル・スタンダード)で言えば、恐らくもっと低いだろう。40〜50人くらいに一人の割合くらいかもしれない。日本人は一般的に読書や本が文化として好きである。漫画を読書に含めれば、読書人口はこれの2倍から3倍まで跳ね上がるだろう。日本人はきっと、媒体の種類を問わず、読み物が好きなのだ。テレビ番組だって、テロップだらけだし。そういう訳で、日本人は読書が趣味な人が多く、私もその一人というだけだ。そして、今気がついたことは、趣味は読書って、大した趣味じゃないな、ということだ。自慢できない趣味だ。

 読書を趣味の一つとして楽しむのも結構だと思う。その一方で、私だけの特別な仕事として取っておきたい気持ちも捨てがたい。読書とは、知性への憧憬であり、先人たちの声の結晶であり、最も手軽な救済装置であり、豊穣な時間の具現化であり、孤独の癒やしであり、自己改革の実践であり、教養というベール、文化という名付けの施されない未調理のもの、下拵えされていない肉や魚や野菜、表象に成りきらない情緒、普段は見過ごしたままにしているが、実は大切な事実などを教えてくれる媒体であることは確かなのだ。これは趣味という枠組みを取っ払い、習慣的行為に格上げせねばならないのであって、私個人の義務だ。

 私に必要なものは、読書というよりも、この義務感、危機意識、ミッションである。私はこのような崇高さに憧れる。憧れるのは、自信の無さの裏返しか。しかし、それを言っても仕方がない。読もうとする意志は、使命感から発するのは確かだ。あとは、この気持ちを如何に行動に移し、習慣に変えるかどうかだ。聖マザー・テレサからの引用を。

 

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

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