Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

論文恐怖症を乗り越えよう

 論文なんて、どうだっていいのだ。論文の意義なんて、提出するだけじゃないか。今更内容の出来不出来なんて聞かれたって、答えようが無い。最低限度の量と質と形式と期限さえ守れればそれでいい。及第点でいい。どうしても納得できなければ、またいつか再び、学部から出直す覚悟だ。今はただ、修了できればそれでよしだ。

 私は、嗚呼、弱いなあ。もう負けているじゃないか。またいつか、なんて永遠に来ない。信念が無いなあ。今の私だけでなく、過去の私もそうだった。病気のせいではない。習慣のせいだ。習慣とは、即ち、その人間の全部だ。嗚呼。私が全部悪いのだ。この様な無様な結果になったのは、全て私に一切の責任がある。しかし、私は責任の取り方を未だ知らないのである。

 どうすればいいのか分からないまま、今年もいよいよ終わろうとしている。論文に取り組みたい。しかし論文を書きながら、シニタイ衝動が抑えられるかどうか分からない。体は理性よりもよく知っている。危険なシグナルを発信している。嗚呼、俺は本当に論文が書けない人間だなあ。

 論文が書きたい。しかし、死にたくない。論文と死の観念がどんな経路を辿って、斯様に絡みついてしまったのか、とんと分からない。今では死にたくなると論文を思い出し、論文を思い出すと死にたくなってくる。この二つの間の関係性を切り離したい。

 これは、自己暗示だ。こんな感じで自分に言い聞かせる。論文なんか怖くない。論文なんて楽勝だ。俺は論文が書ける、書ける、書ける。死にたくなんかならない。もっともっと生きていたい。私は生きていていい。長生きしていい。健康になっていい。家族に囲まれて生きて行っていい。親しい友人たちと、本と音楽のある暮らしを生きていい。生きることは良いことだ。希望は良いことだ。

 私の為すべきことは、まず自己治癒能力を高めることだ。方法はその場に適した、楽にできることでいい。そして、少しずつでも論文を進めることだ。少しやっては休憩を繰り返して、着実に進めることだ。

 前に進まねば。生きねばなるまい。