Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

魂と魄

 音楽とは、マラソンに似ている。ゴールがあるようで、ないようなものだ。互いに似ているようで、何処か違うようで、意味があるようで実はない。盲目的な愛のようで、激しい憎しみに満ちていて、滑稽で、諧謔的で、循環している。要素のようで、全体のようだ。水遊びのように、澄んで、美しい、妖精の世界観かと思ったら、呪詛のように、辺りに吐き散らかしている。逆転しているのが当然で、矛盾していて自然で、暴力と精神が融合している。ああ、そうだ、俺が欲しい音楽とは、訳の分からないやつだ。幻想世界、異世界、異質、異物、グロテスク、ゴア、ニヒリズム。不協和音の共和国だ。愁訴だ。悲しみだ。叫びだ。MOROHAも言っているが、「ヒップホップもロックもジャンルじゃない。それは魂の名前だ」(MOROHA『革命』より)そうだ。魂の声を聴かせてくれ、魂の反響音を鳴らしてくれ、魂の高鳴りを、魄からだけの純粋培養の「それ」を、見せてくれ。魂のそのままの様式で、魄の形と色で、音と声に落とし込んでくれ。たとえ、退屈で気怠くて、面倒で、苛立ってて、尖ってて、気持ち悪くて、明るくて、矛盾してて、恥ずかしくて、独りよがりで、未熟で、未完成で、ふらついてて、眩暈がするような代物でもいい。だから、これは魂なんだから、良い悪いは関係ない。奇麗汚い関係ない。リアルかフェイクか、それだけが大事だ。それは俺の判断に任されている。この音と言葉と声で、「これはリアルかフェイクか?」を演者も観客も決めなければならない。その真贋に対する決意こそ、崇高なんだ。訳が分からない!?そうだろう。でも、それはお前が決めることだ。このブログも、有り体に言えば、俺の魂の叫び(嗚呼、なんて恥ずかしい文字面、響きだ)なんだろうから、お前が決めればいいんだ。下らない。詰まらない。リアルなら良い。フェイクなら悪い。これくらい簡単な、しかし難解な、説明の難しい、実感で分かることも無かろうと思う。

 一例を。巷で噂のQueenよりも、もはや日本人ではなかやまきんに君以外誰も聞かないBon Joviがいまだ現役な方がリアルだ。(昨年度、遂にRock and Roll Holl of Frameにノミネートされた!)私はOasisがあまり好きではない。というかBritpop全般が。Slipknotの方がガチなリアルだ。一般にRockより、Hard Rockが好きで、Hard RockよりMetalの方が好きで、MetalよりもNu Metalを好み、一番好きなのはRapである。細部へ細部へと視点が狭くなる。メジャーよりもマイナーを、世俗よりもアングラを求める。たまに気分によって逆転する。嘗て下らないと思って居たジャンルがいきなり好きになる。これも魂魄の作用の結果である。好き嫌いなど一朝一夕に変化する。来年あたりに、The BeatlesThe Beach Boysを聴いてウキウキしているかもしれない。(ないか)

 人間の身体の内部では、精神をつかさどる魂と肉体をつかさどる魄の二つのタマシイが融合しており、死ねば二つは離れるそうだ。私はこの説を信じる。実証的じゃない?そうかな、十分信じられると思われるが。だって、魂なんて存在するに決まっているじゃない。世界中の神話や民話や民間信仰の中に、魂の概念が入り込んでいる「事実」が、そのまま魂の「実証性」を担保しているじゃない!そして、精神を司るものがあるんなら、肉体を司るものがあっても全然不思議じゃない。だから、この「魂魄」という考え方は、道教儒教をよく知らなくても、全然理解できる。そして、或る人の魂魄とまた別の人の魂魄の両方を結びつけるのが、言葉や、音や、像であるというのも至極判りやすい。当然だ。しかも自然だ。