Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

遅読家のボヤキ

 味読とは、例えれば、味見するようにちょびっとずつ読む態度である。この反意語は多読である。こちらは言うなれば大食漢である。分厚い辞書だろうが小難しい経済評論だろうが三文小説だろうが統計資料だろうが、活字だったらなんでも丸呑みしてしまう。思いつく著名人は、まず評論家の宮崎哲弥氏だろう。氏は自身を「活字中毒者」と称して憚らない。活字に魅入られてしまったかのような凄まじい読書量、読書スピードである。スピードについて言えば、書評ブログ404 Blog Not Foundでお馴染みの小飼弾氏は、処理速度においてずば抜けている。

 

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 世の中には、とんでもない技能を身に付けた人間が居るものだと、つくづく思う。エクストリーム・スポーツに興じる人間も居れば、10分足らずで本を一冊読み通す人間も居り、一週間で論文を書き上げる人間も居る。私は私のできることをやればいいのだから、比較する必要もないのだが(おこがましい限りだ)、やはりというかなんというか、つくづく自分の不出来、低能、馬鹿さ加減を実感してしまう。

 そうそう、話しを戻そう。味読についてだ。味読とは、恐らく、凡人以下の私に適応する読み方である。一日一冊当たり三十分だけ時間を与える。五色の色鉛筆(赤青緑橙紫)と定規をもって、それぞれに与えた役目(情熱・分析・基幹語・疑問・不思議)を本文に色付けしていく。分からねば、何度でも読み返す。一日五項程度でも構わない。三項でも、二項でも、一項でも、一段落でも構わない。厳密な期限はなく、完全に理解したと思うまで読み返す。忘れれば、また読み返す。繰り返し、繰り返し。

 味読に欠かせないのが、朗読である。声に出して意味を確かめる。声に出すと脳も活性化するそうだが、別段、脳の為にやるのではなく、理解のために行うのだ。理解できる部分はわざわざ声に出す必要は無い。だが、名文とは心の口でも読ませるのだ。心の声として拡張され、心の耳が傾聴する。心の内奥に沁み込ませるように、味わいを忘れまいと、刻むように発声する。だから、自然、読む物も選ばれる。以下にその文献録を載せておこう。

 

ホイジンガ, 高橋英夫訳, 『ホモ・ルーデンス』中公文庫, 1973年

パスカル, 前田陽一・由木康訳, 『パンセ』中公文庫, 1973年

マルクス・アウレーリウス, 神谷美恵子, 『自省録』岩波文庫, 1956年

原仙作, 『英文標準問題精構』旺文社, 1933年

・中原道善, 『基礎英文問題精講』旺文社, 1982年

 

 後半の二冊は、大学受験の頃からお世話になっている、私にとっては一種「聖典」的地位に置かれている。英文学的素養は、すべてこの二冊から得られたといって過言でない。今も尚本屋の大学受験コーナーに平積みされているベストセラーであり、事実、この二冊以上に手頃に英語の名文を得られる著作を寡聞にして知らない。朗読の教材として最適である。英語に不安を感じたら、私はいつもこの二冊を取り出して、いくつかを朗読してみる。ああ、変わってないな、とホッとする。たまに下線部和訳してみると、案外構造が取れていなかったり、構文を忘れていることに気付く。もしこの二冊に音読教材が付属すれば馬鹿売れ間違いなしなのにといつも思う。

 あと、Longman Dictionary of Contemporary Englishと新潮現代国語辞典(第二版)の通読もちょくちょくやってます。それくらいかなあ。

 あまり去年と変わり映えしないですが、継続は力なりでやっていきましょうか。