Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

四苦を想う

 ここ数日間、毎日モヤモヤ、ヤキモキ、イライラしている。理由は単純明白。修士論文の翻訳が一行も進めてないからである。先生にお出しするものが一つもない。だから、落ち込むし、泣きたくなるし、自暴自棄になる。慌てている。腰が定まらない。では、計画を立てて実行するのも、どうせ失敗するに決まっているので、出来ないし、そういう遣り方を変えたい。私の立てる計画には必ずと言っていいほど、無理がある。現実を見ていないからだ。現実の己の生活を振り返って、その生活にすこしだけ変化をつける、プラスアルファするという感覚に堪えられない。その余りにも微量で微細な変化を、変化として受け取ることができない。前進しているという感覚が欲しい。出来る限り大きな、素晴らしい大変化を求めている。だから、この焦燥感が生れるのだろう。

 微量で微細な変化は、実はしている。私は日に日に老いている。それはもう何年も前、確実に実感したのは、二十五歳の頃を過ぎた辺りだった。老いとは怖ろしいものだ。肌に張りが無くなる。無理な頑張りが効かなくなる。全身の気怠さが熟睡しても抜けない。筋肉痛が二日経って襲ってくる。二日酔いの代わりに、虚脱感に悩まされる。こうした生理的な変化は、確実に自分が老いている証拠である。老いの感覚は、死の感覚と直結している。ああ、こうやって死ぬんだろうなあ、と感慨深げになるのならまだマシで、私の場合、まだ何も達成していないのに、もう死んでしまうのか!という焦りと苛立ちに変化する。先ほど述べた焦燥感は、きっと、老いの実感から端を発しているのだろうと思われる。

 そして、忘れてはならない身体の変化は、病である。私の人生の内で、こんなにも病に生活を奪われた時期はなかった。私は持病を憎んだ。神経症は、確かに環境の要因もある。しかし、私の場合―これは大変プライベートな話題なので読み飛ばしてもらって結構だが―生まれつきの持病が二つある。睾丸と甲状腺が片方ずつ無い。睾丸は生まれつき発育不全のため元々無く、甲状腺は小学六年生の頃に肥大化し、癌化したので除去した。しかし、人間の体は大変有難いもので、脳、眼、鼻(鼻腔)、耳、手、足、甲状腺、肺、腎臓、精巣、卵巣などの器官の多くはペアの構造になっている。(その一方で、一番大切な心臓、肝臓、胃腸や膵臓などの消化器系は一個しかないのはなぜかについては、また今度調べてみたい)精巣では、テストステロンなどの男性ホルモンが作られ、筋肉や骨格の発育に関わる。甲状腺は、脳の下垂体から分泌される甲状腺刺激ホルモンによって、全身の新陳代謝を促進させる働きを持つ。要は、どちらの器官も、ホルモンバランスに関わる重要な器官である。で、私はその器官の半分がないのである。自分が、そうした器官障害のない健康な人に比べて、環境の変化による心のバランスが崩れやすい事実は、よくよく自覚しておくべきだった。病を治すだけでは足りず(現在は両方の治療は完了している)、もっと生理学の知識なり、生活習慣の改善なりを、すればよかった。それは、私にも出来たことである。それをしなかった事実に、後悔と自責の念があるのだ。

 話を無理矢理まとめる。焦燥感に苛まれている。その理由は修士論文が終わらないからであるが、根本には、微量の変化に堪えられれないという弱さがある。生きるのが辛いのだ。ふとした瞬間、それは歯を磨いている時だったり、散歩している時だったり、眠りに就こうとしている時だったりするのだが、「シニタイ」と思う。第二に、老いがある。老いの実感が死の恐怖を駆り立てている。第三に持病がある。ホルモンバランスの乱れが生じやすい特質を持っているにも関わらず、これまで左程関心を払ってこなかった己への後悔と自責の念がある。まさに生・老・病・死の四苦に苛まれている。だから、私は仏教に悟りを求める様になったのだろう。

 奇麗に纏めすぎると、続きに書くことが無くなる。今日は仕事始めだ。頑張ろうと思う。