Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

シンプル・スロウ・ステディ

 私の癖の一つに、身近な人に宣言してから行動に移す、というものがある。このブログは、もはや懺悔室の気配すら漂い始めているが、これも毎日の生活を成り立たせるための私なりの工夫の一つだ。聖なる時間なのだ。生産の為ではなく、回顧の為、浄化の為である。

 昔、もう何時のことか覚えていないが、たまたまテレビで演歌歌手が自分のモットーについて話していた。Simple, Slow & Steady(簡単に・ゆっくりと・着実に)。それが彼の信念だった。簡単に、ゆっくりと、着実に。いい並びだな、と思った。物事を簡単に考え、ゆっくりと前進し、着実な成果が与えられる。モットーにすべきはこういう当たり前すぎる言葉がいい。というのも、当たり前すぎる言葉が、一番失念しやすいからだ。

 私はこの真逆をモットーにしていたような気がする。つまり、Complicated, Rapid& Fickle(複雑に・急速に・気まぐれに)である。この自己分析はかなり的を得ていると思う。

 まずComplicated(複雑)について。私は人間像であれ、印象であれ、物事全体の構造であれ、物の見方であれ、なるべく複雑に把握しようとする傾向がかなり強い。出来るだけ綿密、緻密、精密に構造化したい欲求がある。その為に、さほど重要でない事柄ですら、人生の価値やら世界の意味を見出そうとしてしまう。それは、大変非効率的で、馬鹿げた習慣だと自覚しているが、そう考えた方がより高尚で、興味深い人間になれるような気がしていたのだ。今なら言える。時と場合に依る、と。そうである場合とそうでない場合があり、そうでない場合の時には、そうするべきでない。もっとsimple-minded(素朴・単純)でいいときもある。それを見極めるために必要な物は、パスカルの言う所の「繊細な精神」というよりも、「幾何学の精神」である。私の場合、次の格言も同様に価値がある。「一度にただ一つのことをやるがいい」(『アラン定義集』ACCABLEMENT「落ち込み」より抜粋)

 (注:simple-mindedに、「純真な」「無邪気な」の他に、「愚かな」「お人好しの」という意味があるのは面白い。時と場合に依っては、simple-mindedも「幼さ」に代わることも知らねばならない。)

 次にRapid(急速)について。これは三つ目のFickle(気まぐれ)と密接に関わる為、同時に説明したい。私の人生は、着実な歩みの時期と、気まぐれに左右される時期の二つに分けられる。前者は、家庭や学校という囲いの中に居た時期であり、後者は、囲いから外れて独りで暮らして居た時期である。気まぐれに思い立ち、決意し、取り組み、急速に変化しようと願い、失敗し、失望する。そして、また一定の時間を経て、落ち着きを取り戻したと思ったら、すぐさま、何かに飛びつき、気まぐれに決意し・・・そうした循環を何周も回って辿り着いたのが現在である。結局の所、失う物が大きく得るものが少なかった。学びの代償が余りにも大きかった。健康を損ない、定職を失い、収入源を失い、自信を失い、車や家を失い、故郷を失い、両親に負担を掛け、先生に迷惑を掛け、職場に多大な迷惑を掛け、人を傷つけ、また傷つけられた。それは単に、気まぐれに任せて急激に変化を求めたからである。だからこそ、今日からは、Slow(ゆっくり)なペースで、Steady(着実な)成果を求めようと心に念じたいのだ。実現可能な計画を立て、実現可能な成果を求め、実現可能な生活を手に入れたいと思った。失ったものを取り返すことは出来ない。しかし、同じ轍を踏まないよう心掛けることならできるはずだ。

 Simple, Slow& Steady 合言葉にして、前進したい。まずは修士論文を完成させること。これだけを考えて、着実に前進し、2月11日の提出期限に間に合わせたい。