Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

脱・機械的生活

 私たちの暮らしを根本から支えているのは、他人の仕事とその成果である。生産者と消費者の関係は相互依存であるが、実際は、二項対立に時間軸も含んだ三次元のスパイラル構造だ。これには正と負の二つのタイプが想定される。

 正のスパイラルの具体例が、アイドルとファンの関係だろう。アイドルは曲を出す。ファンは曲に勇気づけられる。ステージとは両者の共有空間だ。両者は同じ歳を重ねる。嘗て、まだ駆け出しの頃の思い出を、両者は共有できる。そして、その記憶が次のステージ(制作、ライブ、そして解散)への駆動力になる。この構造はアイドルに限らない。他に挙げるとすれば、ロックバンド、漫画家、役者、芸人、劇作家、詩人、画家、硝子工芸家、陶芸家、落語家辺りだろうか。「追っかけ」や「古参」や「ファン倶楽部」や「ガチ勢」のような組織が、時間の経過と共に、自然発生的に生まれるのも特徴だ。正のスパイラルは、一言で表せば、無償の愛である。見返りを求めない慈愛である。

 負のスパイラルについては、心理学で云う所の、「共依存」が挙げられる。顕著な例は、アルコール中毒に罹っているダメ夫と、ダメ夫を支える献身的な妻の間に出来上がる、ある種の歪んだ信頼関係だ。夫は酒に入り浸って禄に仕事もしない。妻は夫を叱り飛ばす。二人は喧嘩が絶えない。しかし、時折、夫はまるで赤ん坊の様になって妻に泣きつく。妻は夫を更生させることを自分に与えられた使命のように感じる。夫は誓いを何度も何度も破る。妻は金の工面をする。酒と金と愛と暴力が互いに絡みつき、二人は切っても切り離せない関係になる。この泥沼状態は、まさに負のスパイラルの為せる技に違いない。

 スパイラル構造とは、正の場合でも負の場合でも、強大な力を持ち得る。想像力のことを、嘗て、京都学派の哲学者三木清は「構想力」と呼んだ。このスパイラル構造は、三木の言葉を借りれば「形成作用」である。この発見は、なにか課題解決の糸口にはなるかも知れない。

 私の心の中には、常々、生活の中に潜む「機械化」を排除したい欲求というものがあった。機械化とは、オートメーション化または自動思考と呼んでも構わない。そうすることに慣れ切ってしまって、最早何の喜びも痛みも苦しみすらも感じないような習慣的行為、考え方、立ち振舞いを改善したいのである。この問題が根深いのは、自分の頭では決して観察できない不可知の対象であるということだ。だからこそ、闇雲に試行錯誤することこそが、実は最も理にかなった解決策になるだろうと期待する。弱い自分と理想の自分の対決だ。ここに、先程述べた、スパイラル構造の原理を利用して、より深く、より緻密に己の心の有り様を把握し、思考の癖を矯正し、時間を掛けてじっくりと改善に努めたいのだ。

 ところでこの「二項対立+時間軸=スパイラル構造」とは、私にとっては斬新なアイディアだ。表題の「脱・機械的生活」とは、つまり、感覚器を研ぎ澄ませ、視点を分化させ、思考を深める生活のことだ。時間の経過による形成作用、醸造作用を待って、ゆっくりとした、しかし着実な進化を望む心の在り方だ。自己内の対話の必要が生じるだろう。内省を通した発見があるだろう。その思考には、いずれにせよ、悲哀の色が帯び始めるだろう。死の匂いが微かに漂うだろう。

 機械人間になってはいけない。人間機械(AI)が社会を支配しようとしている昨今、私にできる最善の策は、せめてもの人間らしさを維持し、磨いていくことだけだ。

 同じ失敗を繰り返すのは避けよう。無駄だと分かっているなら取り除こう。少し面倒でも追々楽しくなるのなら、率先して取り入れよう。難しいことを難しく言うのは止めよう。簡単なことを意味ありげに語るのを止めよう。目先の損得勘定に囚われるのを止めよう。ドグマを認識し、なるべく近づかないようにしようと心掛けよう。

 さて、明日も修論とバイトとブログだ!