Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。Peace.

馬鹿嫌いと反骨心

 馬鹿のまま生きていたくない。アイツは馬鹿だと思われたくない。阿呆な振る舞いを直したい。間違った解釈を正したい。野暮なことを言いたくない。馬鹿を嫌う思いは、私のみならず多くの人達に共有されている常識だろうと思う。一方で、こういう考えを抱く時もある。人と違った考え方を貫きたい。付和雷同するよりも確固たる信念を持ちたい。外見に囚われず中身で勝負したい。馬鹿だと思われても構わないから、熱く燃え上がりたい。あらゆる既成概念、権力構造、拘束から解放されたい。このような反骨心も、きっと少なからぬ人達に強く訴えるのではなかろうか。

 私達に残されたのは四つの選択肢だ。①馬鹿が嫌い、②反骨心の塊、③馬鹿が嫌いでかつ反骨心もある、④馬鹿が嫌いでもなければ反骨心も持っていない、の何れかである。それぞれの内容を想像してみよう。

 まず④についてだが、私はまさにそうなりたい。馬鹿嫌いでもなく反骨精神もない人間とは、空気のような人間である。多くの場合意見を求められないから、状況が好転しようがひっくり返ろうが、全然平気なのである。毎日の習慣を丁寧に一つ一つこなしていく。口ではなく態度で語るタイプだ。敢えてキャラ化すれば「クレヨンしんちゃん」のボーちゃんである。(となると、「馬鹿」はしんちゃん、「馬鹿嫌い」は風間くん、「反骨精神」はネネちゃん、となるのだろうか。あれ、まさお君は?)

 ③については、理論上想定できるのか分からないが、実態としては案外多そうである。馬鹿だと思われたくないが、かと言って御上(または権威者、伝統的価値観、歴史観)の言う事も全然信じられない。彼(女)はルサンチマンを抱えやすいだろうと思う。ダサいと思われたら最後なのだ。常にアッパーハンドを取っていないと不安なのだ。彼(女)の眼は純粋だ。でも振る舞いはどこかぎこちない。キャラ化すれば、ポップな社会運動家だ。

 ①については一番数が多いだろう。日本は特にツッコミ過多で、ボケが過少と云われる。皆、誰かがボケてくれるのを待っている。ボケとは小さな失敗であり、例えばちょっとした勘違い、忘れ物、言い間違い、粗相などだ。多くの人たちが、そういう場面に出くわすと、口には出さずとも心中で「馬鹿だ!」と思っている。キャラ化すれば、相方が全然ボケてくれないツッコミ役である。

 ②については、やはり血気盛んな若い男性に多いのだろうか。反骨を全面に押し出すというのは、遣り方に依れば、成功するときもある。厄介なのは、偽りの反骨心だろう。あらゆることに噛み付いていたら、それは狂犬である。手が付けられない。関西弁で言う所の「ケッタイな」奴として見放されるだけだ。使用上の注意をよく守って使わねばなるまい。キャラ化すれば、やはり、亀田三兄弟のお父さん辺りか。

 馬鹿嫌いな筈なのについうっかり馬鹿なことを口走ってしまう。反骨精神が過剰な故に、思いがけず相手の意見に大賛成してしまう。そういう場面を見ると、やっぱり、どっちもどっちだなあという結論になる。人間はそんなに性格と行動を徹底できない。それがまず前提にないと、色んな不都合が起こると思われる。