Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。Peace.

脱・メディア生活

 寝ようと思うけど寝られない。明日もバイトが四時間入っているのに。少ししんどい。

 こういう時、ついつい意味がないと知りつつ、ネット世界を彷徨いてしまう。大抵、誰かの悪口が書いてある。下らない。

 悪口を聞くと、反論したくなる。そんなことを言ってはいけない、と諭したくなる。だが、閲覧者のコメント欄は既に荒れ放題になって、もはや私の出る幕はないと知り、軽く失望する。刺激的というか殆ど詐欺に近いタイトル、釣り針がデカすぎて誰も引っかからないような馬鹿動画に、意外なくらい多くの人が引っ掛かっている。少し虚しくなる。

 ネットを使えば使うほど虚しくなるのはなぜだろう。嘗て、テレビの危険性が喧伝された時代があった。今は、特定のテレビ局や新聞社、出版社、言論人が名指しで批判される時代だ。私から見れば、どっちもどっちとしか言いようがない。芸能人のスキャンダルにせよ、政治家の悪行にせよ、はっきり言えば、知らなくて良かったことだらけだ。

 新聞を焼き払え。テレビを窓から投げ捨てろ。スマホをハンマーで叩き割れ。雑誌をゴミ箱に投げ捨てろ。イヤホンを引き千切れ。ヘッドホンを破壊しろ。情報に支配されるな。奴等にくれてやる時間など、一分一秒でも惜しいのだ。金を払ってやるから、どうか近づかないでくれ!奴等に会ったら、目を瞑れ。耳を塞げ。口を閉じろ。これが私のメディア・リテラシーだ。恐れ入ったか!

 もういっその事、テレビも新聞もラジオもインターネット(検索サイト、SNS、動画、ポルノ、ブログ)も週刊誌も定期刊行物も広告(新聞の折り込みチラシ、テレビやラジオのCM、口コミサイト、街に至る所に張られている政治家の掲示ポスターや看板)など、ありとあらゆる一切のメディアから己を切断してみようか。きっと、大した違いは無いと思う。

 人は言う。物は使いようだ、テレビだって面白い番組はまだある、ネットで地道に丁寧な取材をしている興味深い記事もある、ラジオだってそうだ、小さい出版社は頑張っている、草の根運動には良心的市民は応援すべきだ。確かにそうだろう。大メディアが死んでも、言論活動自体が無くなるわけではない。私が言いたいのは、流行に全く興味関心を失ってしまった人間にとっては、現在のメディアはたとえ大きかろうが小さかろうが、質が良かろうが悪かろうが、正しかろうが嘘だらけだろうが、知ったこっちゃないということなのだ。もはや必要なくなってしまった喪失感よりも、こんなものに自分の時間を奪われてしまっていたのかという己への憐憫が勝ってしまったのだ。

 きっと、集中とは、己を世界から切り離して、体と心を結びつけることなんだろうと思う。目の前のこと、目の前の人、目の前の道具に神経を集めることだろうと思う。

 脱・メディア生活をこの一ヶ月間頑張って進めてみよう。