Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』や小林秀雄の『考えるヒント』みたいな随想録や告白集を書くのが夢。Peace.

惰性を排し、責任を取る生き方

 清涼飲料や駄菓子など、摂取してもしなくても大した違いはなく、もし度が過ぎれば体調を崩すのと同様に、面白いだけの本は、読んでも読まなくても大して印象や意義を与えない。古ければ価値があるというのも考えものだ。新刊は下らないと思うのも知性の堕落である。要するに、清涼飲料も駄菓子も、古本も新刊本も、摂取の方法論を考えねばならず、それは己自身に尋ねるより他ない。すべてオーガニックに凝ったり、懐古趣味と内省だけを以て孤独を癒すような生活も、きっといつか息苦しくなる。心労や身体の疲れを、面白いだけで中身のない低俗な読書体験と、味の濃いばかりで栄養価の低い食事で満たそうとするのも、充足は訪れない。

 肝心要は、これからの生き方の選択ではなく、今何をすべきで何をすべきでないのかの判断である。here & now「イマ・ココ」に対する執着心、決意、戸惑い、切迫感、焦り、勇気こそ大切にすべきことである。振り返るべきは、今日一日であり、昨日や一昨日、先週、先月ではない。奴等はもう過ぎ去ってしまって、今此処に居るお前を苦しめたりはしない。奴等が苦しめようとするのは、明日のお前だ。明後日、来週、来月のお前を苦しめようとして、奴等は計画を練っている。過去が苦しめるのは未来の生活である。今のお前に求められているのは、反省や内省ではなく―無論それは時として必要だがその時は向こうから教えてくれるものであって、己から求める思索の類ではないだろう―状況に対する観察眼、審美眼であり、その観察から類推される公算(probability「蓋然性」とも訳される)を基にして、直観に従い決意を固め、選択によって決断するのだ。その後の結果責任は、己自身で取れば何の問題も支障も生じない。

 ところで「責任」とはresponsibiityの訳語であるが、ラテン語respondere(応答する・お返しに約束する)を語源とし、「re-(…し戻す)」+ -spond(約束する)=約束し返す」という接頭辞の構造を持っている。これにability「能力」が付け加わり、「責任をもって返答することが出来ること、性質、または立場」という説明訳が出来上がる。責任者とは、事の顛末を説明し事態収拾に関わる善後策を提示することが要求される。もっとも、責任は絶えず分散されており、たった一人の人間に押し付けられる場合であってもスケープ・ゴートが用意されているのが通例である。

 惰性を排し、責任を取る。私の求める生き方はこの一文に縮めることが出来るだろう。それは同時に、惰性に流され、責任を取らないこれまでの生き方を反省した結果である。罪の罰は状況説明と善後策の提示であると信じたい。