Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

迷い道の愉楽

 終日家に居て、夜更けになるとどうにもたまらなくなって、ジャケットを羽織り、タバコとライターと携帯灰皿とスマホとヘッドホンだけを身に着けて、向こう見ずに家の玄関から飛び出してしまう。橋を越えて、入り組んだ住宅街に入り、何処に繋がっているのかも分からないままに、勘だけを頼りに歩き続ける。配送トラックとすれ違う。自転車に乗った初老の男とすれ違う。二人組の若い女たちとすれ違う。僕はコンビニを探している。否、明かりを探している。

 歩きながらゆらゆら帝国を聞く。お化けの世界を体感するためだ。住宅街を歩きながらふと横を見ると、鬱蒼とした木々に囲まれた古そうな民家を見つける。化け物が住んでそうな気配だ。嬉しくなってしまう。家で退屈しているよりこっちの方がスリリングだ。生きてる実感と恐怖とは紙一重だ。

 歩きながら考えていることは大抵昔のことだ。通り過ぎてしまったことをクヨクヨ考える。偶に、そうか、と納得する。発見と工夫をスマホを取り出して書き込む。

・正しい言葉と正しい振る舞いは異なる

・正しく振る舞う人も誤ったことを言う

・間違って振る舞う人も正しいことを言う

・言葉と人格に絶対的関係はない

・歩きながらスマホはよくない

・昔のスマホを持ってきてカメラ代わりにするのはどうだろう。夜景ウォッチャーみたいな。楽しいかも。

・起床時刻、始業時刻、終業時刻、就寝時刻の四つを定めて守ろう。

・退屈と面白いはほんの紙一重、視点の違いだけだ。対象は変わらない。変わるのは己のものの見方だけだ。

・スキップは楽しい

 こんな感じで、僕にだけ分かる言葉で納得したことを書きつける。いつか役に立つように。

 迷うことはいいことだと思う。迷っている時は、集中している。全身で考えている。どうにかしないといけないと頭で考えて動かないよりも、どの方角でもいいから歩き続けることが目的地に到達する方法だと知る。散歩とは、修論と同じだ。いつかは家に帰るのだ。誰も待っていないあの家に。

 夜でも人は働いている。タクシー運転手、運送屋、コンビニ店員は、昼と夜の区別を忘れたように生きている。コンビニは時間の概念がない。それはとても不自然な姿だが、私にとっては憩いの場所である。何時でも開いているコンビニとは、何時行っても空いていない寂びきった中華料理屋と同じくらい素晴らしい。

 身体が冷えてきた。芯から冷える前に家に帰ろう。親は寝ているだろう。僕の部屋は真っ暗だろう。鍵は掛かってないだろうと祈っている。