Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

本と知性

 沢山本を読んだり書いたりする人たちが、この世の中には一定数居る。読書を趣味としている人、本を書いて生計を立てている人、本の制作に関わる人などだ。本を読むのが楽しいと言う人が居る。日記を書くのが好きな人も居る。同人誌を作って発行している人も居る。インターネットを通じて自分の言語表現を公開している人も居る。

 人は言葉を愛す。文章を書き、文章を読み、文章を買い、文章を売る。言葉とは思考と感情の表現媒体であり、思考と感情が産まれ育まれる母体でもあり、その能力は経済活動を送るための資本にもなる。人間の言語依存は、他の動物には見られない特異なものだ。ところで、言語と言葉の違いとは、前者が体系的であるのに比して、後者は個別具体的な響きがある。言語とは音声学の範疇であるが、言葉は詩学の範疇である。音声学は幼児から児童を対象にした教育が中心だが、詩学は青年から老年までを対象にした啓蒙教育である。

 言葉を知りたいと願うことと教養を身に着けたいと願うことは、一見重なるようで実は重ならないのだと、最近になって思い知った。言葉を知りたければ古今東西聖典や古典を紐解き、辞書から辞典まで片っ端から乱読し、言葉の世界に耽溺すればよい。ひいてはそれが教養の素地になる筈だ。そのように考えていた。今は少し考えが変わった。言葉を知るには沢山読むだけでは足りないのだと。言葉を沢山書いても、まだ足りない。言葉によって表したい対象を把握するための審美眼を持たねばならないと知ったのだ。これはジャーナリズムやアカデミズム等のプロ筋の書き手に求められているだけでなく、アマチュアな書き手にも同様に求められている、謂わば書くための必要十分条件である。

 子供の時、なんであんなに自由に物が書けたのだろうと想う。自由とは即ちモノの味方のことだ。子供は日々成長するから、モノの見方も日に日に変わる。全然自然に任せて居るので、自分の意見なり視点なりを持とうとしなくても、体は勝手に成長して行く。子供の審美眼は成長と共に歩むのだから、大人の審美眼が負けて当然なのだ。諦めよう。

 しかしながら体の成長は心の成長であり、その逆も然りである。自然に成長できなくなった青年期以降、人は知性を求めて本を読み、本を書き始める。言葉は、ポスト青年期の人間にとって知性獲得の為の道具と化す。また、そのような道具的実務的発想が習慣的日常的になっているので、言葉により自分が支配されていることを忘れてしまっているのも特徴的だ。「大人の知性」「大人の教養」という言葉の響きのなんと虚しいことよ!

 そして、いつか、どこかの局面に於いて、きっと少なからぬ大人は気が付くのだ。「私は一体自由になったのか?」と。自分が自由の本来の意味を全然知らないで来たことに愕然とする。一瞬、世界の意味が崩壊する。全体の5%が、言葉の意味の崩壊により心に変調を来す。残りの95%は、無かったことにして「先」に進む。先も後もその意味も知らないままに。「なぜ」を忘れた大人たちは、意味を忘れ、己と己の家族の幸福と安全を確保する方法論を求めて日々闘う。

 言葉とは意味だけで成り立っている訳ではない。またすべての意味が言葉によって表されている訳でもない。言葉とは紡ぐもの、吐き出されるものであり、意味とは実現(realize)され、認知(recognize)されるものである。言葉と意味の重ならない、非言語的かつ無意味的な現象は、しかしながら、日々の中に多く棲息しているにも関わらず、日常に埋没してしまって見過ごされている。それらを感知し、言葉にならないものを語り、意味になっていない価値を提示する人間は意外なほど少ない。恐らく、ここら辺に万人の求める本と知性の関係性が在るのだろうの思われる。

 子供の頃のような自由な発想は望むべくもない。大人は好むと好まざるとにかかわらず、道義的、社会的、法的責任等によって支配される生き物だ。ことばの自由が子供に特権的なのは彼等に責任が無いからである、と加藤周一さんが書いていたと記憶するが、この指摘は真実だと思う。大人になれば、表現の自由とは何を言っても書いても構わないことではなく、先に述べた種々の責任を果たしている場合に権限が付与される、相当に「不自由」な自由であったことを知る。有り体に言えば、税金を払わず、仕事にも就かず、子供を産んでも育てないで、なんとなくぼんやり暮らしている人間には、発言の自由など事実上無いに等しいのだ。

 過酷な労働を強いられながらも、無意味に価値を見出すこと、未だ語られていない現象を語ろうとすること、つまりは言葉遣いに気を配ろうとする態度を堅持することは容易ならざることだ。昨日手元に届いたシモーヌ・ヴェイユの『工場日記』を、修論の後じっくり読んでみようと思っている。

 

工場日記 (講談社学術文庫)

工場日記 (講談社学術文庫)