Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

残日録(18)

 久しぶりに朝早く目が覚めた。相当疲れていたのか気が付いたら眠っていたようだ。朝食を食べ、ビタミン剤と薬を飲み、珈琲を啜って煙草を吸う。顔を洗い、歯磨きをして、服を着替える。布団を上げて、部屋を軽く掃除し、洗濯物を干し、食器を洗う。頭が冴えてくる。一日が始まるように感じる。だが、私には両親のように、また多くの友人たちの様に外に出て働くための居場所がない。強いて言えば自室のパソコンの前が私に与えられた作業所だ。

 誰も居ない家に一人でパソコンに向かって論文と格闘する。とても寂しいし、無性に苛立つ。無意味さだけが募ってくる。追いかけられている。下らないと思う。なぜだろう。独りは慣れっこなのになあ。ここ数年来孤独を求めていたはずなのに、最近はどうも人恋しい。否、ずっと人恋しかったのである。私には乙女心、または火照った感情が心の奥底に絶えず在るのだ。気持ちの悪いことだが、自分のことだから、仕方があるまい。少女のような自分。老人のような自分。少年のような自分。大人びた自分。なんだか下手なポエムみたいになってきたなあ。それにしても、アルバイトをしている時が一日の中で一番充実している気がする。誰かの役に立っている気分が感じられるからだろうか。本当に役立っているかは別にして、この貢献している実感は、私にとって生活を支えるものなんだろう。

 この論文は、私を支えるものにならない。それはハッキリしている。したくない。自分を役立たせようと思うのは悪い事ではないだろう。だが、今の私には論文とアルバイトと健康を取り戻すことが、仕事のようなものだ。「仕事のようなもの」とは何か。アルバイトは一応仕事であるが、私には実質的にリハビリテーションだ。論文は学業ではあるが、元々はニ年前に終わらせるべき課題だ。健康と安定した精神を取り戻すのは、至難の業である。薬の服用と日々の筋トレ、散歩、食事の管理、睡眠の質の向上など最低限のことすら出来ていない。「仕事のようなもの」とは、近い将来、正社員になるための準備段階という意味だ。それ以上でもそれ以下でもない。嗚呼、正社員。アルバイトは正社員ではない。非正規雇用だ。非本来的な、本道から外れた、腰掛け、下男下女のような働き方なのだ。なんという印象の悪さ!労働の価値は契約条件が全てではないだろう、如何にその人間が一生懸命頑張っているかどうかだ。それでいいじゃないかと開き直りたくなる位だ。(良くはないか。)

 「正社員」という響き、語感のよさ、体のよさに比べて、「引き籠り」、「ニート」、「フリーター」、「無職」、「パート」、「アルバイター」、「非正規労働者」、「日雇い」、「派遣社員」「家事手伝い」といった言葉から醸し出される印象、雰囲気、背後関係は、暗く重く鈍く貧しく悲惨である。私は、こういった範疇に自分を当てはめると、どうしたって「大学院生」という肩書きに拘ってしまう。「大学院生」という言葉の持つ健康さ、爽やかさ、熱心さ、そして無責任さ。私は自分のことを「アルバイター」とは規定せずに、未だに「大学院修了間近の学生」として社会的自己に安住している。

 そうか!私はこの論文を実は手放したくないのだ。もしもこの論文が終わってしまったら、私は本当の現実と格闘せねばならなくなる。もう一度、あの忌まわしき就職試験、面接練習、自己PR文、自己分析、業界分析、エントリーシート、学生支援課、ハローワーク、フレッシュマン・スーツ(嗚呼、なんと私に相応しくない名前だろう)、お辞儀の仕方、挨拶の仕方、不合格通知、合格通知、第三次面接、入社初日の緊張、自己紹介、辞令、社会保険の加入、配属先、人間関係。そういった社会的な生活に飛び込んで行かないといけない。それが恐ろしくて堪らないのではなかろうか。人間が最も恐ろしいことは、次に何が起こるのか全く不明である状況で、それでも前に進み続けることを強いられることだ。この恐ろしさを、エンターテインメントのように考える人間は、相当な強者である。心臓に毛が生えたような、という表現がぴったりくる。私も、やはり、勇気を身に付けなければならない。豪胆になる必要もなく、そうなりたいとは思わない。豪胆なものは何時だって傲慢であり、俗物で、脂ぎっていて、その眼はギラついていて、腹に締りがない。私は断じてそのような不潔な人間になりたくない。不潔になるくらいなら死んだ方がマシだ。これは紛れもない直観である。

 私は、もっと素直に、しかし、勇気と覚悟を以てことに望みたい。嗚呼。こんな話ばっかりだ。去年からなんにも進歩していないじゃないか。嗚呼。私は一体何時になったら、覚悟が出来上がるのだろうか。勇気が持てるのだろうか。変えられないことと変えられることの区別をするための賢さを身に付けよ。これが祖母の願いであった。この願いは真実の願いだ。そうだ。謙虚になるにも、勇気を持つにも、先ず何よりも賢さが無ければ、見極める審美眼が無ければ何も始まらない。審美眼。今必要なものは、私の審美眼を如何にして磨くか。それだけだ。本質を見極める力。直観力。魂の声を聴く耳。疑いなく判断する力。そこに謙虚さと勇気が宿るはずだ。

 寂しくなり、祖母と電話する。「そんな一足飛びに行かずにぼちぼちやんにゃあ。」という言葉にホッとする。そうだなあと思う。僕もそう思う。きっと自分は焦ってすぐに何でも一気に片付けようとする性質なのだ。勇気の反対はせっかちである、とはO先生の至言だ。せっかちな人は、先取不安で事態を正確に把握できない為、結果的に憶病になる。臆病とは性格ではない、結果である。これは真っ当な真実だろうと思う。

 ぼちぼち行こう。誰かから聞いた。アフリカの彼の国で「ポレポレ」という言葉があるそうな。(そういえば、『ポレポレ英文読解』とかいう問題集を浪人生の時使っていたなあ)Wikipediaによるとスワヒリ語らしい。スワヒリ語がどの国の言語かしらないが、今大事なのは、この言葉の持つ意味である。ゆっくり、という意味らしい。なるほど。適当に検索したら最適な結果が見つかった。(以下参考、下線部は引用者による。)

 

私たちは、変えられるものを変える勇気を持つことが必要なときもあります。

一方で、変えられないものを受け入れる勇気が必要になるときもあります。

どちらの勇気を持てばいいのか判断がつかないときもあります。

そんなとき、逃げでも妥協でもなく、“pole pole”とつぶやき、

自分を大きな何かに委ねたり、

自分のこころに耳を傾けるときがあってもいいのではないでしょうか。

www.counseling-polepole.com

 

 少し驚いた。全く今自分が考えていたことが書いてあるではないか。こういう偶然の一致を必然のように感じてしまうのは、私の狡い性分だ。いずれにしても、私に必要な言葉は、pole poleであろう。

 

本当に“pole pole”な状態とは、

「信頼している誰かに見守られながら、安心してひとりの時間を過ごす」

ということでもあります。(同サイトより引用)

 

 まさにそうだよなあと思う。何処のサイトからかと思ったら、カウンセリングを行っている診療所が運営しているサイトだった。やっぱりこういう気分、体調の時は、こういうサイトを自然と呼び寄せ、引き寄せちゃうんだよなあ。これが「引き寄せの法則」ってやつですか・・・「求めよさらば与えられん」が自己啓発の根本理念だそうですが、やっぱり僕もそっち側の素質があるんだよなあ、と認めざるを得ない。絶望できない人間なのだろうか。それほど楽観的に出来ているのか。(原理的に絶望できない人間とは果たして善いのかについては、また別の問題だ)

 いずれにしても、孤独を極めるよりも、みんなで仲良くのほほんと暮す方を選んでしまうような、牧歌的な、正直な、素朴な、危機感の欠いた、何処までも俗っぽい所が抜けきれない人間なのだろう。俗世を拒みつつ俗世に留まることは、苦しい。決めきれないままに時間だけが経つのも苦しい。出家しようが、洗礼を受けようが、苦しみの連鎖から完全に抜けきる訳では無い。寧ろ、修業は苦しみの連続だ。修行から解放され、役職をあてがわれても、尚、苦しみは終わらない。説教や説法をしたり、教え諭したり、手当てをしたり、話しを聞いたり、式を執り行ったり、寺や教会を運営したり、教団と連携したり、なんやかんやするんだろう。俗世よりももっと泥臭い、極めて人間的な問題―金銭問題、恋愛、地位や名誉の争いなど―に囚われるかもしれない。

 どちらに転んでも苦しみから逃れようがないのならば、私に出来る最善のことは、目の前の仕事に一生懸命になる事だ。ゆっくり着実に前進することだ。体を動かすことだ。言葉を吐くだけでは足りない。手と足と頭とを動かし、納期に間に合わせるよう頑張ることだ。猪突猛進である。

 自己効力感(self-efficacy)が下がっていては、修論もままならない。気分は瞬間に出来上がるのだろうから、瞬間的な多幸感を逃さずに、そのまま穏やかなプラス思考に移行できれば最高だ。小さな心理的ストレスを加え続ければ、どんな丈夫で元気な人間だって、雨垂れ石を穿つと言う様に、修復困難なくらいに凹んだり傷ついたりするものだ。如何にして心を平穏に保つかを知ることは、殆ど人生の奥義であろう。そんなことは、誰も明確には語り得ないのだ。これはアナロジー(類推、推論)に止まらざるを得ない。自分の魅力を一人では正確に知ることが出来ないように、他者の中にあって初めてこの推論が正しいか間違っているかが分かるのだ。今の自分が、ただ病的な熱っぽさを帯びているのか、あまりに深刻に考え込み過ぎているのかは、私だけではどうにも判断がつかない。心の在り様は、このブログを読んでも分かるまい。私にだってよく分からない。

 そもそも修論をしたいのか、したくないのか、分からない。しかし、遣ると言ってしまった以上、遣らざるを得ない。それが実態だ。ここに、外的な圧力の存在を認めることは可能だ。内的な動機付けが出来ていない、と教育学を学んだ私は自分に判定することが出来る。内発的動機付けの、外発的動機付けにあらゆる点に於いて優っているのは、科学的に実証されていることだそうだ。では、私は、己に内発的な動機を与えてやらねばならない。記憶を辿ろう。私は、修士課程に入学する時、何を語っていたのか。昔のファイルを眺めて見よう。大学院入学書類の研究計画書より抜粋したものを載せてみる。

 

 私が貴校に入学後に行おうと考えている研究の大きなテーマは、ジェームズ・ボールドウィンの小説とエッセイに表れる黒人問題の解明である。・・・・・・研究の具体的なアプローチとしては、ボールドウィンのエッセイ作品にも現在研究している「恐怖」の視点を持って取り組むことである。(2014/8/24)

 

 「恐怖」の視点が具体的に指し示す内容が一切明かされていないのは、当時の自分としてもそれが何か全然具体的に分かっていなかったためだろうが、それ以上に、これは計画とも呼べない代物だ。研究するための準備が入学時点でまだ完了していなかったこと、また、入学後も結局の所、何がしたいのかよく分からず、終いには体調を崩してしまったことを想起する。要するに、私はボールドウィンも黒人問題も本質的に興味がなく、私の問題として辛うじて接点があったのは「恐怖」という視点だった、ということだろう。段々と、昔の記憶が蘇ってきた。私は、今と同じように、その頃も音楽を聴きながら歩いていた。マンションは田畑を向かいに立っており、藪の隙間から太陽が昇っていくのを煙草を吸いながら眺めたものだった。あの時、私は全く孤独だった。仲間は皆働いていたし、教授たちは私にあまり関心が無く、I君なら一人でできるだろうというよく分からない期待というか、そのような雰囲気があった。私は誤解されていたのだ。それなのに、私はまるで「はい、できます」と軽々しく言ってしまうのだ。「頑張ります」と言ってしまった。自縄自縛の快楽から抜け出せずに居た。私はよく歩いたものだった。大学の周りに池があり、池を祀る神社があった。そこに行ってジョギングをしたり、歩いたり、煙草を吸ったり、猫たちとじゃれ合った。此処に居る猫は嘗て飼い猫だった猫たちで、地域の人たちが毎日餌をやっているから生きているのだ。私は猫に同情した。猫は、あの時私の唯一の友だった。そうだ。思い出してきた。私はアルバイトをしていた。二つ掛け持ちでやっていた。全然研究をしなかった。嗚呼。今思えば仕方なかった。だって、誰からも理解されない葛藤を抱えていたのだから。ラップの研究に鞍替えした後も、私の心は研究に向かわず、なぜだか知らないが妙な色恋にうつつを抜かしていた。妙だった。今もそうだ。女に逃げるのだ。私は。こういう時でも。そうだ。何も変わってない。私は、あの頃のままだ。本ばかり買って、全然読まない。ノートを買って来ては、真っ白なまま、最初の2,3ページだけ汚して捨ててしまう。私が探し求めた「恐怖」とは一体何だったのだろうか。私は何度も死のうと思った。そうだ。目が醒めるたび、朝が来るたびに落ち込んだ時もあった。無性に泣きたくなる時も何度もあった。辛かった。悔しかった。情けなかった。無力だった。自分の汚れた体と心をどのように浄化しようか、工夫を求めた。嗚呼、そして結局出せず仕舞いだった。あの日のことは忘れない。焦燥。焦燥しきった人間の顔。エレベーターの鏡に映る自分の顔を覗いて驚いた。死相が出ているじゃないか、と思った。顔を隠す様に家に帰った。両親に電話した。父は泣き崩れた。母は狼狽した。N先生は、嗚呼、あの時どんな顔をしていたんだろう。もう潤んでしまって見えなかった。そして、就職支援課に行って、事の顛末を話して、教育委員会に嘆願書を書いたのだった。そうだ!私は修士論文の代わりに書いたのは、嘆願書だった。どうか、約束通りの卒業は果たせませんでしたが、どうか就職を取り消さないでくださいとお願いしたのだ。嗚呼、あの時のことが昨日のように思い出される。全く、恥じらいも通り越していた。そして、何とそれが受理されたのだ!!!そして、殆ど訳の分からないままに高校教師に落ち着いたのだ。そして、二ヶ月後に休職、その後復職したが、二ヶ月持たずに再び休職、その後自主退職。その年の十月に私は大学院に後期復学していた。最悪なタイミングだった。最悪なコンデションだった。そして、僕は、退職した二ヶ月後、再び論文が出せなかった。あの日のこともよく覚えている。もう、全てを失ったと思った。全く晴れ晴れした気持ちだったのだ。平安と呼んでもいい、心地よい気分だった。仕事も、論文も失った。何も残すことはない。嗚呼、あの時僕は一番自殺に近い心境だった。

 修士課程を志して四年と半年が経った。僕は一つでも学んだろうか。何か変わっただろうか。「恐怖」について何を学んだのか。学んだのである。「恐怖」について、よくよく、実地で学んだ。文学からというよりも、己の失敗によって。失敗と恥辱と失意と焦燥と失望と自暴自棄の末、絶望の淵(Abyss このブログのタイトルにもなっている)に追いやられていた。虚無主義という言葉を覚えた。仏教的世界観がフィットしていることを感じた。同時に、キリスト教の考え方も好きな自分も居た。先生に迷惑を掛け、両親に心配を掛け、膨大な資金の提供を受け、弟にも体調を心配され、友にも、祖母にも、嗚呼、周りのみんなに心配をさせた。私の恐怖とは、まさに心配されることだ。身近な人から心配されることは、私にとって苦痛だった。あらぬ想像を掻き立てた。俺のことを馬鹿にしているに違いない、嫌いになっただろう、期待を裏切ってしまった、どうしようもない奴だと思って居るだろう、軽蔑しているだろう。疑心暗鬼。そうだ。「恐怖」とはまさに疑心である。疑心暗鬼を生ず、である。私が、この四年と半年で学んだことは、疑心暗鬼の構造だった。

 さて、私は今これを書いてしまって、何処かスッキリしている。事の子細については、過去の記事に幾つか書いているが、こうやって一気呵成に纏めてみるのも面白い。私の研究テーマ「恐怖」とは、文学を経ずに、私の体験によってその意味と構造を知らされたのだった。疑心こそ恐怖の根源であるという、諺にも格言にも聖典にも載っている当然のことだった。恐怖を捨てるには疑心を滅却せよ、という発見である。しかし、これは私の発見の価値を減じるどころか、一層輝きを与えているのだ。常識に帰る、歴史哲学という道の発見であった。この発見があったからこそ、三木清パスカルや、またMalcom Xの言葉の意味と価値が認識できるようになった。そうだ。私は今やっと、修士課程に入るための準備が出来たのだ。だが、もう18日後には此処を去らねばならない。なんと、面白いことだろうと思う。最後の最後、私は気が付いたのだ。今自分が何処に立っているのかを。私は今、門前の小僧の心持なのだ。しかし、私はずっと寺の中に居て、居場所を見つけることが出来なかった。何度も、反芻して考えていたのは、果たして何を為すべきか、何を為さぬべきか、という禅問答だった。私は今ここに籍が在る。だが、仕事の意味が分からない。方法は分かる。だがその効果が如何ほどか分からない。生きている気がしない。死にたいと思う。そんなことばかりだった気がする。私の修士課程は、今、始まるのだ。だが、現実は、今まさに終わろうとしている。私は時間の経過というエレベーターに載せられて、本人の意図とは関係なく、ゴール地点に導かれている。私は、今、初心から一歩も動かないままに、もうゴールしようとしている。だが、このゴールは修士号という形式的な終着点だ。真の学問の道は、これから始まるのだ。そうだ。学問の道はエレベーター式ではない。これは、まさしく知の冒険だ。なんとココロオドル響きだろう。なんと素晴らしい世界だろう。そうだ。これからが全てなのだ。

 これから全てが始まる。今までは、序章の序の口。私の学問の道は、これから始まる。全ての道が一気に拓かれていくはずだ。何か、新しいことが起こる。期待したい。

 新しいことは、この論文が終わった後に待っている。アルバイトの後、頑張ろう。今から三時間働いて、家に帰って来る。論文だ!自己救済の道だ。学問の道だ。生きる道だ。